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..................................... もみぬか........................ あもう
籾糠山 & 天生湿原 の巻 OKen
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梅雨の晴れ間に,籾糠山(1,744m)に登ってきました。岐阜県と富山県の県境近くで飛騨白川郷の東
の方向です。付近に高い山が無いので 360度の展望があります。
頂上からはこのように見えるはずでしたが,今回は晴れていても霞んで北アルプスは見えませんでし
た。
この写真は一昨年10月に登ったときのものです。この日は立山から,北アルプス,乗鞍岳,御嶽山,恵
那山、白山まで見えていました。全貌パノラマをお見せできないのは残念ですが,北アルプスの部分 だけを切り取ってご覧頂きます。 ![]()
この山は、眺望の良さだけでなく,以前ご紹介した泉鏡花が「高野聖」で題材にした天生の魑魅魍
魎(チミモウリョウ)の世界,天生湿原があります。
『昔 若い出家が、飛騨白川郷から飛騨古川へ抜ける天生峠越えをしたときの話しです。
蛭や蛇のいる気味の悪い峠道で,越中富山の薬売りに追い抜かれたほかに,すれ違う人もいない寂
しい道でした。山蛭にまといつかれて難儀をしながら、山中の一軒屋にたどり着きました。
小造で声も清しい美しい女と、その親爺,出臍の腹をいじくりまわしている化け物のような若者が暮ら
していました。
日暮れも近く出家は泊めてもらう事になりました。親爺は明日の早朝の馬市で馬を売るために夜道
を下って行きました。
夕暮れに女に勧められて、谷川で裸体になって旅の汚れをすすいでいました。米とぎをしていた女
が、背中を流しましょうと谷川に入ってきました。乳の端もほの見ゆる膨らかな胸を反らして立つ女の 姿は美しかったが,出家は恥ずかしくって見を縮めていました。
肉つきの豊かなふっくらとした膚,黒髪を抑えながら、腋の下を手拭でぐいと拭き,その手拭を両手で
絞りながら立つ姿。唯これ雪のようなものをしたたる霊水でした。女の汗は薄紅になって流れました。
夜もふけて板戸一重の隣室で、出臍憮男の若者と、数々の魑魅魍魎と共に女が戯れる声が聞こえ
てきます。出家はお経を唱えて一夜を過しました。
翌朝逃げるように峠を下って行きますと,馬を売って帰る親爺に出会いました。親爺が言うには,お坊
様は無事だったようだが,昨日の越中富山の薬売りは、女の色香に迷わされた為に馬に変えられたの だそうです。今日売ってきた馬がそれでした。家にいた魑魅魍魎も全て旅人だということでした。』
このような話しもあります。
この湿原に、顔の醜い女が住んでいました。満月の夜,近くの川の月ケ瀬と言う淵に顔を映してみた
ら、お月様だけが写っていました。月を掬って飲んだら、その夜女は子供を身ごもっていました。
生まれた子供の名は『止利(トリ)』と言います。長じて、623年に奈良の法隆寺の「釈迦三尊」と「飛
鳥大仏」を作りました。 ![]() ![]()
飛鳥大仏
一説には,止利の父は鞍作部多須奈(クラツクリベノタスナ)といい、シルクロードから来た異邦人で、
黒兵衛の娘しのぶに生ませた子が止利であるとも言います。
止利の顔は,烏天狗のように曲がって尖った鼻,赤毛でギョロ目,まるで鳥のようであったそうです。
止利が飛騨の匠の祖になったと伝えられ、左甚五郎もこの流れを汲む人だそうです。
また、しのぶ(忍)が先の説で、月を掬って飲んで身ごもったことから,この地を天から授かった意で
「天生」と名付けたとも言い伝えられています。』
この「天生湿原」は約1万年前、断層隆起で川が堰き止められて出来た窪地だそうです。樹木が倒
され,その上にぶなや桂の落ち葉が堆積してできた泥炭層の上が高層湿原になりました。
この時期にしか無い花を眺めて,カメラで採取してきましたので、ご覧に供します。海抜1,400mにあ
る湿原ですが,植生が豊富で知らない花が沢山ありました。 ![]() ![]()
アカモノ .......................................................................... ウスギョウラク
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判らない花の検索に,内山繁様,湯原尚一郎様のご協力を頂きました。
両氏に感謝申し上げます。
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