季節の便り 03-12
    岐阜は名馬の産地の巻

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岐阜笠松競馬場育ちの『オグリキャップ』、兄弟馬の『オグリローマン』を
ご記憶ですか。この馬の生まれは北海道で『道産子』ですが、育ちは岐阜です。岐阜は昔から名馬の
産地でした。
           
                        梶原源太景季と名馬磨墨の像
 
飛騨高山と、郡上八幡の間に明宝村があります。
昔 明宝の気良の里で天馬の種を宿して生まれた精悍な馬がいました。色はあくまでも黒いので『磨
墨(するすみ)』と名付けられました。
毎朝自分で厩栓棒を外して山野を走り、蘭とも蛍草とも言われる霊草を食み、大滝の奥の乳白色の
霊泉を飲み、形質ともに類のない駿馬になりました。
鎌倉の源頼朝公に献上され、梶原源太景季に下され幾多の戦いに活躍しました。
出生地の道の駅にこの像があります。

 
      歌川国芳「宇治川合戦の図」大判三枚続錦絵 
          馬頭町広重美術館藏
 
寿永3年(1184年)1月、木曽義仲軍と源義経軍が宇治川をはさんで戦いました。
橋板が外されていたため先陣争いも敵前渡河しかありません。義経軍の佐々木高綱と梶原
源太はそれぞれ愛馬「生月」と「磨墨」を駆って川に懸かりました。
『梶原殿 馬の腹帯が緩んでいるようだ』と声をかけられ、景季が諮られたとも知らず腹
帯を締めなおしている隙に、高綱が追い越して対岸に跳び上がり『佐々木四郎高綱 宇治
川の先陣仕った』と名乗りを上げました。
     [ 平家物語 巻九「宇治川の先陣」より」]

因みに、「生月」は「池月」説があり、産地も隠岐説、桐生説があるようです。
 
  
八幡町(通称 郡上八幡(ぐじょうはちまん))はお盆前後の徹夜踊りで有名です。
この郡上踊りの春駒という唄のにも磨墨が出てきます。
 
     おはやし 「 七両三分の春駒 春駒」
 「 郡上は馬どこ あの磨墨の 名馬出したは 気良の里」
 「 私しゃ郡上の 山奥育ち 主と馬ひく 糸もひく」
 
郡上八幡にはもう一つ馬の像があります。山内一豊夫妻と馬の像です。
夫人が鏡台に隠した臍繰りで一豊に馬をプレゼントしたお話が有名ですが、この馬もこの地方の産で
す。
一豊は数々の功あって土佐の高知のお殿様になりました。うま(馬)い話しです。
             
   山内一豊夫妻と馬の像                   郡上八幡城
 
八幡城は、房総千葉氏に繋がる遠藤盛数が築城したのが始まりで、その後 稲葉貞通、また遠藤氏、
江戸時代 幕末までは青山氏の居城でした。
一豊の妻見性院はこの遠藤氏の一族だと言われています。
東京の青山通りは、郡上八幡の青山氏の下屋敷があったことから地名になったものです。

          
         お城から八幡町を俯瞰

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