トップへ
トップへ
戻る
戻る







  長良川で薩摩藩が宝暦のお手伝い普請をしてから 250年になります。これを記念して岐阜放送が記念番組
「長良川・悠久の流れ」を製作しました。
  この番組作成のお手伝いをしました。この番組から抜き出した映像と、「木曽三川フォーラム・長良川分科会」で
集めた資料で今回の季節の便りを構成しました。
         
    
                                                         現在の長良橋       
        川は利用の仕方も、流れも、景色も変わります。今昔を訊ねてみました。

現在の川は郷愁の場所になってしまいましたが、昔は生活の場であり、交通の主力であり、憩いの場でした。
この賑わいを取り戻そうとする活動も盛んになってきています。まずは昔の賑わいをご覧ください。

 上りは帆をつかっていました                   荷物集めのチラシです
 

              

この俯瞰写真は、下が上流です。左下の黒い部分が 金華山です。橋は長良橋で、その下流で三股に分かれ
流れていました。右の二筋が古川と古々川です。左の青く着色した部分が、現在の本流です。
 古川は締め切られて、都心に広大な公用地を生み出しました。ここにホテル。長良川球場、競技場、国際会議場、
メモリアルセンターなど、スポーツ、文化施設が作られました。
 郊外部では、砂地を利用して名古屋名物の「守口漬け」の原料大根栽培も盛んでした。
 この地域は「中州」でしたから「島」の地名も残っています。
 昔の治水は、山に降った雨を早く海へ流してやることがねらいでした。迂回水路は田畑の灌漑、水生生物のビオ
トープなのですが、これ等への配慮は有りませんでした。
 最近の工事では生物への影響なども考慮されるようになりはじめています。

昔の賑わいです。
 

 
   オフシーズンには鵜を川で遊ばせた                       現在の鵜飼

防災
 

 長良橋付近の水位は通常海抜15m以下です。岐阜市街地の標高とほぼ同じです。伊勢湾から 50Km位ですが、
ほぼ平坦な濃尾平野です。伊勢湾台風ではこの付近まで潮が揚がっています。
 洪水時は水位が 17m以上になります。このとき堤防が切れると市内は水浸しになります。23号台風では長良橋付
近で水位が堤防を越え一部民家が浸水しました。
 
     岐阜市役所 堤防が壊れたらこうなる                     昭和51年の出水

 
       国営木曽三川公園      この付近で薩摩藩が宝暦治水工事を行った

                                        
  長良川は一級河川で上流から都市部を流れています。治水のため人工護岸率 85%で日本一です。それにも関
わらず淡水魚47種もまた日本一です。                                               
                                                                        
 このような川の管理を全国に広めたいものです。
そして、川は人が憩い、子供が遊ぶ場にしたいと思って、川のボランティア活動に汗をかいています。         
川の歴史や民話を調べたり、野生動植物の生育環境を残したり、憩いの場つくり、竹林整備、そしてその間伐竹を
単に焼却するのでなく、竹炭に加工することで循環型社会のごく一部を実現しようとしています。
                                                                        
                                                風と土の会は自分たちで
                                                出来ることを、出来るとき
                                に、出来るだけやる ボラ
 リンク    ボランティア「風と土の会」           ンティア団体です。      
                  クリックしてください          

                     トップへ戻る    前へ戻る    季節の便り目次へ   次へ