十五社神社・御由緒
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天長3年(826)淳和天皇の御代、脅威の天変地異が起こり、里人は天道に祈り奉ると
宮山である唐松山に天地形成の神である天之常立尊、国常立尊から神武天皇の父神である
鵜草葺不合尊まで天皇の御祖の神々が現れ、広く国内を守護するよう厳かな神のお告げがあり
「天神大明神」(あまつかみだいみょうじん)として奉ったのが創祀と伝えられている
 
その後、この地方に秦氏と天児屋根尊の子孫との争いがおこり、盟神探湯(くがたち)
により神意を伺う信仰が興り「裁主大明神」として奉られ「美濃国神名帳」に
「正四位下裁主明神」と記される古社で、江戸時代末期まで「湯立神事」として
盛んに行われていた。その後途絶えていたが、平成7年に復活し、現在秋祭り行われている
鎌倉時代、逸見又太郎義重は承久の乱の勲功により大桑郷を賜り、当神社を崇敬した
又その嫡男逸見又三郎重氏は本殿を改築した。お手植えと伝わる逸見杉(市天然記念物)が遺っている
 
戦国時代となり、美濃国守護大名土岐頼芸が大桑城に移り住み、源氏の氏神である
石清水八幡宮を勘請し相殿に合祀し「十五社大権現」と改称し、加藤輿三右衛門
を神主として祭祀に当たらせ、土岐氏の氏神として奉り篤く崇敬した
 
土岐氏の裔孫土岐頼勝は、氏神を崇めて武運長久祈願に参拝し、慶長の役
大阪の陣の戦いで戦功があり、当社の神徳に感謝して、寛永18年(1736)本殿を寄進した
 
元禄14年(1701)五代将軍徳川綱吉公は、代官辻六郎右エ門守参に社殿造営係
を命じて本殿(現存)を改築し、奉つった
文化9年(1812)岩倉具視の曽祖父、従三位岩倉具選卿当神社に来社し
朝廷の許しを得て「十五社大神宮」と奉称し、皇室の安泰を祈願した
明治維新後は「十五社神社」と改称し、今日に至り広く崇敬されている
 
 
 
十五社神社・社格
 
昭和19年8月1日 「郷社」 列格 (旧・戦前の社格)
昭和54年3月20日「金幣社」岐阜県神社庁長参向神社指定