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(小話815) 「老婆に変装した四季の神ウェルトゥムヌスと美しい妖精ポモナ」の話・・・
          (一)
ギリシャ(ローマ)神話より。昔々のその昔、森の妖精ポモナは、ローマの近郊のポモナルと呼ばれる聖域で果物の世話をしながら、果樹園を荒らす乱暴者を避けて、ひとり安らかに暮らしていた。彼女はアプロディーテ女神が鼓吹する恋愛なんかは念頭に置かなかった。そして、この地方の神々や人々を警戒して自分の果樹園には、いつも錠を下ろして誰も入って来ることができないようにした。山野の精サテュロス、牧神パン、荒地と森の神シルヴァヌス、果樹園の神ベルタムナスをはじめ、多くの者達が妖精ポモナに求婚したが、うまくいかなかった。その中でも四季の神ウェルトゥムヌスが、誰よりも彼女を愛していたが、彼も他の神々と同じく成功することができなかった。彼は刈り入れる農夫の姿に変身して、妖精ポモナに穀物をかごに入れて持って行ったことは、一度や二度ではなかった。ある時は、彼の姿は農夫となり、時には疲れた雄牛の軛(くびき)を外して、牛を駆る棒を手に握って現われた。時には刈り込み鎌を運んで、葡萄園の園丁を演じた。また時々は、はしごを肩に担(かつ)いで、まるで彼がリンゴを収穫する者であるように、又、彼は、まるで魚を捕りに行くように、釣り竿(さお)を持って果樹園へやって来た。彼は、このように姿を変えて、何回も愛する美しいポモナに近付いて、彼女を見ては一層、情熱の炎を燃やした。
(参考)
@アプロディーテ女神・・・オリンポス12神。美と愛の女神。大神ゼウスのディオネの娘とも海の泡(神々の初代の王ウラノスの男根)から生まれたともいわれる。ヘパイストス(鍛冶の神)の妻、アレス(闘いの神)の愛人。
「ウェルトゥムヌスとポモナ(全体図)」(ポントルモ)の絵はこちらへ
「ウェルトゥムヌスとポモナ(右部分拡大図)」(ポントルモ)の絵はこちらへ
          (ニ)
ある日、四季の神ウェルトゥムヌスは一人の老婆に変装して現われた。彼は頭に帽子をかぶって、手には杖をついていた。老婆は果樹園に入って言った「さて、立派な果物ですね、お嬢さん」。そして、老婆に変装したウェルトゥムヌスは妖精ポモナにキスをした。そのキスはおいぼれには似合わないほどに強烈なものだった。老婆は堤防の上に座って向こう側に立っているニレの樹を見つめた。そして、ニレの樹とその上に絡(から)んでいる葡萄(ぶどう)の木を眺めながら言った「木が孤立するならば、蔓(つる)は行くところがありません。蔓(つる)がニレに巻きつけられないならば、蔓は地上でうつぶせになったままでしょう。なぜ、あなたは木と蔓から学ばないのですか、あなたは誰かと結婚すべきですよ。あなたがいくら拒んでも、あらゆる種類の地方の神々や人々が、あなたに求婚します。しかし、あなたが慎重であるならば、又、この老婆に忠告させてもらえるならば、すべてを退けて、四季の神ウェルトゥムヌスを推薦します。彼が彼自身を知っているように、私は同様に彼をよく知っています。彼はさすらう神でなくて、四季の神です。彼は、あなたとあなただけを愛していますよ。その上、彼は若くて、美男子で、さらに、彼はあなたがする同じことが好きで、庭造りを楽しんで、あなたの大好きなリンゴも取り扱います。しかし、現在は、あなた以外は、彼は果物も花も他に何かも好みません。彼を憐れんでください。そして、私の話すことを聞いて彼を気に入ってください。愛する者を虐待すると、神が罰するのを思い出してください。女神アプロディーテさまは冷たい心を憎んで、遅かれ早かれそのような罪をお下しになりますよ。これを証明するために、あなたにキュプロス島で実際に起きた有名な話をさせてください」
(参考)
「ポモナとウェルトゥムヌス」(メルツィ)の絵はこちらへ
「ウェルトゥムヌスとポモナ」(ゴルツィウス)の絵はこちらへ
「ウェルトゥムヌスとポモナ」(Jean ranc)の絵はこちらへ
「ウェルトゥムヌスとポモナ」(ブーシェ)の絵はこちらへ
「ウェルトゥムヌスとポモナ」(エークハウト)の絵はこちらへ
「ウェルトゥムヌスとポモナ」(パウルス・モレールス)の絵はこちらへ
「ウェルトゥムヌスとポモナ」(フェルディナント・ボル)の挿絵はこちらへ
          (三)
「キュプロス島のイピスという若者は、愛と美の女神アプロディーテの熱心な信者であった。ある時、彼はアナクサレテという名門の美しい娘に恋をした。貧しい生まれのイピスと名門の娘では、身分の差が大きく開いていた。だから、長い間、イピスは恋に悶(もだ)えていたが、思い切れず、ついに娘の屋敷の戸を叩いた。幸い、娘の乳母と知り合いだったので、イピスは泣いて訴えた。乳母は娘の家の者を説得し、娘に彼からの見事な花輪の贈り物をした。だが、叶うはずのない恋だった。しかも、それだけではなかった。アナクサレテには、暖かなこころが欠けていた。凍(い)てついたこころを抱えて、花輪に涙を残すイピスを嘲笑(あざわら)い、軽蔑した。イピスは呟(つぶや)いた「美しいアナクサレテ、あなたはわたしの恋に勝利されたのだ。だからわたしは死ぬほかない。わたしが死ねば、あなたは満足なのだろう。だが、わたしが愛したこころは絶対に死なない。きっと、このわたしの死とわたしの恋は語り継がれていく。あなたは、わたしの死の様を見て楽しまれればよい」と。そして、「この花輪なら君も気に入ってくれるだろう!」とイピスは屋敷の門に輪縄を縛りつけた。そこには彼が、かつてアナクサレテのために捧げた花輪が飾られていた。その上でイピスは、輪縄に首を勢いよくさし入れた。だらりとぶら下がった若者の体は、振り子のように揺れて、彼女の門を何度か打ちつけた。使用人はドアを開いて、彼が死んでいるのを見ると、哀れみの声をあげてイビスを彼の母の家に運んだ。なぜなら彼の父は死んで、母だけであったから。悲しみに沈んだ葬式は町を通り抜けた、偶然にも、アナクサレテの家は行列が通る通りにあった。アナクサレテは窓辺でイピスの葬列を見るうちに、その頑(かたく)なな心のままに全身が石に変わっていき、やがて、彼女の身体は石になってしまった。その像は、キュプロスのアプロディーテ女神の神殿に今でもあるのです。すぐに、これらについて考えてください。そして、あなたを愛している恋人を受け入れてください」。このように話してから、四季の神ウェルトゥムヌスは、老婆の変装を解いて、美しい若者となって彼女の前に立った。それは、雲を通して輝く太陽のように見えた。彼はもう一度、哀願しようと思った。しかし、その必要はなかった。彼の話と、彼のその美しい本来の姿が彼女を圧したからだ。妖精ポモナはこれ以上抵抗しなかった。彼女の胸にも激しい愛の炎が燃えたから。こうして、妖精ポモナは四季の神ウェルトゥムヌスの愛を受け入れ、二人はとても幸せになった。
(参考)
@ウェルトゥムヌスとポモナとは、イタリアの男神と女神のペアで、庭園や果樹園の守護神。豊穣、愛し合う夫婦を象徴し、17世紀オランダで非常に好まれた。ウェルトゥムヌス神は女神ポモナに言い寄るがかまってもらえず、やけになっていろんな姿形に変身している内に、うっかり老婆の姿になってしまいポモナに笑われたのが恋の芽生えなどという神話も残されているという。
「イビスを見送るアナクサレテ」(不明)の絵はこちらへ
「ウェルトゥムヌスとポモナ」(不明)の彫像の写真はこちらへ
「ウェルトゥムヌスが現れる」(ローランデルヴォー)の彫像の写真はこちらへ


(小話814) 「仙腰a尚逸話(その1)。「雲水」と「新築祝い」と「音の絵」」の話・・・
         (一)
仙香iせんがい)和尚が福岡博多の聖福寺の住職であった頃の話。聖福寺は禅宗の専門道場で仙高ヘそこの師家(しけ=雲水を指導をする人)でもあった。ある時、門下の雲水で、二、三人語らってこっそり夜な夜な博多の花街へ出かける不埒(ふらち)者がいて 夜間、塀を乗り越えて悪所通いをするものがいた。この塀は高いため踏み台を置いて乗り越えていた。この噂は仙腰a尚の耳にも入ってきた。仙高ヘ自分の不徳と思い、それを恥じた。ある夜、仙高ヘ彼らが帰る頃を見計らって、塀の所へ行き踏み台を外して、その場で座禅を始めた。そして、彼らの帰りを待った。そんなこととは知らない彼らは、まだ朝空(あさあけ)けぬ頃、帰ってきて塀をよじ登って降りようとしたが、踏み台がない。そんなはずはないと、足で探しているとなにやら丁度良い踏み台があった。それを踏み台にして降りた。しかし、今のはなんだったのかわからないから、薄明かりを透かして見ると、それは自分の師匠だった。彼らは平身低頭した。「夜は寒いのう。お前達、からだを大事にせにゃいかんぞ」。仙高ヘそう言うと静かに部屋に引き上げた。こうして、仙腰a尚は、自分の教化が及ばぬ故、このようなかかる不信心なことをするのだと身を以(もっ)て弟子達に諭(さと)したのだった。
(参考)
@仙腰a尚・・・仙豪`梵(せんがいぎぼん)は、岐阜県生まれで、江戸時代後期の臨済宗妙心寺派の禅僧。諸国を行脚し、40歳から62歳に至る23年間を聖福寺の第123世住持としてすごしました。書画が有名で、禅の教えをユーモアをもって描いている。
         (二)
仙腰a尚がある檀家の新築祝いに招かれた時の話。祝宴の席でその家の主人にから、「和尚様、新築祝いになにか一枚お書き下さいませんか」と依頼されて、仙高ヘ快く引き受け、早速さらさらと書いた「ぐるりと家を取り巻く貧乏神」と。すると主人はこれを見ると「なんです失礼な、こんな句は縁起でもない」と、むっとした顔をした。すると、仙高ヘニコニコしながら「まあ、まあ、怒るな。今、下の句を書いてやろう」と、その下に「七福神は外へ出られず」と。
         (三)
ある者が仙腰a尚に言った。「詩を作る時には太鼓の音は鼕(とうとう)などと書くきますが、和尚は絵が大変に上手と聞いています。でも、いくら上手でも太鼓の音は絵に描(か)けますまいな」。仙高ヘなにくわぬ顔で「なに たやすいことさ。どれ見ていなさい」というと、すらすらと筆を走らせた。その絵は、一人の侍が長い槍を空に向けて突き上げている。見ていた男は、何んなのかわからず「これは一体何ですか?太鼓の音ではありませんよ」と言うと仙高ヘ「天突く、天突くじゃ」と大笑いをした。これには男もおもわず、破顔一笑した。


(小話813) 「イソップ寓話集20/20(その26)」の話・・・
         (一)「カモメとトンビ」
大きな魚を呑み込んだカモメが、喉の奥深くを裂いて、浜辺で死んでいた。トンビがそれを見てこう言った。「お前が、こんな目に遭ったのも当然だ。空飛ぶ鳥が、海で餌を獲ろうなんて、どだい無理なのさ」
         (ニ)「賢者とアリたちとマーキュリー神」
船が沈没し、乗客乗員全てが溺れ死ぬのを、岸から見ていたある賢者は、たった一人の罪人が、たまたま乗っていただけなのに、大勢の罪のない人々にも死の審判を下した、神の不条理を罵(ののし)った。賢人は、しばらくこうして、憤りに心を奪われていたのだが、一匹のアリが彼の足にはい上がり噛みついた。彼はアリの巣のすぐ近くに立っていたのだ。すると、賢者はすぐさま、アリというアリを踏みつけて全て殺してしまった。すると、マーキュリー神が現れて、杖で賢者を打ち据えながらこう言った。「おまえに、神の審判を任せたら、この哀れなアリどもにした事と同じ仕打ちをするのではないのか?」
(参考)
@マーキュリー神・・・ギリシャ神話の伝令神ヘルメスのこと。オリュンポス十二神の一人。大神ゼウスと巨神アトラスの娘マイアとの子。神々の使者(伝令)を務めるほか、富と幸運の神で、商業・発明・盗人・旅行者などの守護神。
            (三)「ネズミと牡ウシ」
ネズミに噛まれた牡ウシが、腹を立て、ネズミを捕まえようとした。しかしネズミは、うまく自分の穴へ逃げ込んだ。牡ウシは、角(つの)で穴を掘り返そうとしたが、ネズミを引きずり出す前に疲れてしまい、穴の前にしゃがみ込んで寝てしまった。ネズミはそっと穴の外へと出てくると、牡ウシに忍び寄り、そしてもう一度、噛みついて、穴の中へ逃げ込んだ。牡ウシは跳ね起きたが、どうしてよいやら分からずに、困惑しきってモーモー鳴いた。するとネズミがこう言った。「大きければよいとは限らないのだ! 悪戯にかけちゃ、小さい方が、ずうっと有利なのだ」


(小話812) 「二人の和尚の「礼」と「喜捨」」の話・・・
        (一)
仙香iせんがい)和尚は常日頃から礼を言わなかったという。彼、曰(いわく)く「礼を言うと、せっかく受けた恩がそれきり消えるような気がするから、いつまでも恩をありがたく思っているために礼をいわんのだ」。又ある日、下駄の鼻緒が切れて困っているのをみて、近くの女房が鼻緒をすげ替えてやった。しかし、仙腰a尚は、礼は言わず、黙って頭を下げて帰っていった。女房が怒っているのを聞いた和尚は「うん、そうか。礼をいやあ、それで済むのかい。わしはもう一生忘れんつもりじゃったにの」と言った。
(参考)
@仙腰a尚・・・仙豪`梵(せんがいぎぼん)は、岐阜県生まれで、江戸時代後期の臨済宗妙心寺派の禅僧。諸国を行脚し、40歳から62歳に至る23年間を聖福寺の第123世住持としてすごした。書画が有名で、禅の教えをユーモアをもって描いている。
        (二)
鎌倉円覚寺の誠拙(せいせつ)和尚は、ある時、山門を改築するというので、広く喜捨(きしゃ)を募った。時に札差(ふださし=金融)を業としている男が、五百両の金を懐中にして寄付を申し込んできた。和尚は「ああ、そうか」といったきり、一言のお礼らしいこともいわなかった。男は和尚に「五百両」の言葉が聞こえていないのだな、と思って「五百両ばかりですが、ご寄付させていただきます」と重ねていったのだが、和尚は「ああ、そうかい」といったきり、後は何もいわない。あまりにも素気ない和尚の対応を、少なからず不満に思った男は、我慢できずに「和尚さま、この五百両という金は私にとっても大金で、容易に得られぬ額です。それを寄付するのですから、お礼の一言くらいあってもよかりそうなものですが」。すると誠拙和尚は、その言葉の終わらぬうちに大喝(だいかつ)して「馬鹿なことを申すな。おまえさんが寄付するということは、自分の福田(ふくでん)を植(う)えることじゃ。自分が積んだ功徳はみんな自分のところへ帰っていくのだ。それなのに、何でわしがお礼なんかをいわなくてはならんのか」
(参考)
@福田・・・佛教用語で、み佛の教えが福徳を生み出す田畑としてたとえられ幸福を育てる田地のことで、人々の幸福の種が蒔かれ、はぐくまれる母なる大地という意味。
A誠拙和尚・・・誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)は、江戸時代後期の禅僧。7歳で出家して各地を行脚の後、高僧・月船禅慧(げっせんぜんね)に師事して高弟となり、やがて鎌倉の円覚寺からその器量を嘱望され、修業僧の指導者となった。教えと儀式の復興と寺の修復につとめて円覚寺中興の責を果たした。


(小話811)「トロイア陥落後のトロイア軍の英雄アイネイアス(アエネアス)とカルタゴの女王ディドとの恋。そして、その波乱に富んだ運命と新トロイア(ローマ)の建国(2/2)」
(前編は(小話810)「トロイア陥落後のトロイア軍の英雄アイネイアス(アエネアス)とカルタゴの女王ディドとの恋。そして、その波乱に富んだ運命と新トロイア(ローマ)の建国(1/2)」の話・・・へ)
         (一)
トロイアの英雄アイネイアスは、クマエの地で、アポロン神の巫女シビュレ(シビュルラ)をたずねた。そして、巫女よりこれからアイネイアスの凌(しの)ぐべき大きい戦いの予言を聞かされ、冥界(地下の世界)に下(くだ)る以前に果たしておくべきこと---地下において捧ぐべき「金葉の小枝」をまず得ることと、死んだミセヌスのために墓をきずくべきこと---を教えられた。アイネイアスは、仲間の一人ミセヌスの亡骸が浜辺にうち捨てられているのを見た。ミセヌスは海で事故に遭い、行方不明になっていた男だった。アイネイアスは弔(とむら)いの祭壇をつくるため、森にはいって樹を切っているとき、二羽の鳩が現われて「金葉の小枝」のあるところを示した。これを持ってアイネイアスは巫女シビュレに伴われて冥界に下った。巫女シビュレは、冥界の河ステュクスの渡し守(まも)りカロンに、金の葉のついた枝を取り出して言った「カロン、この金葉の枝を見なさい。この方はトロイアの英雄アイネイアス様。神に対する誠信と武勇において名のあるお方」。こうしてアイネイアスはカロンの舟に乗り、向こう岸へと渡った。次には、三つの頭をもつ冥界の番犬ケルベロスが冥界への門の前に立ちはだかっていた。巫女シビュレは団子(だんご)を取り出し、番犬ケルベロスの足元に放り投げた。番犬ケルベロスは三つの口でその団子をガツガツと食べた。団子を食べ終わると、番犬ケルベロスはドサっと音を立てて崩れるように倒れた。シビュレの投げた団子には眠り薬が混ぜられていたのだ。アイネイアスと巫女シビュレは眠りこけるケルベロスを跨(また)いで門をくぐった。冥界の川の渡りを求める霊たち、その中にいるアイネイアスの旧知の人たちとパリヌルス。また幼児の霊、無辜(むこ)の罪に死んだ者や自殺した者の影すがた。死に至る愛の不幸な者たち、その中には思いがけず、アイネイアスの二人目の妻ディドがいた。ディドはうつむいたまま顔を上げようとはしなかった。そして、無言のままアイネイアスのもとを去った。また高貴な身分の勇士の霊たちとデイポポス。左に見える地獄からは、罰に苦しむ罪ふかき者らの声、右に道をとって極楽への門にたどりついたアイネイアスは、川の水で身を清めてから、冥界(地下界)の王ハデス(ローマ名=プルートー)の宮殿に至(いた)り、その門に携えた「金葉の小枝」を挿した。門の先には、紫色の光がふりそそぎ香気ただよう草原が広がり、人々がスポーツや音楽に興じたり、楽しげに食事をしていた。ここでアイネイアスは敬虚なる人たちの霊に会い、ここに待望の亡き父のアンキセスの影と再会した。アンキセスは、極楽にはレーテ川という一本の川が流れており、多くの人たちは1000年後にこのレーテ河畔に集められ、この川の水を飲んですべての記憶を消された後、再び地上に生まれ変わるのだと言い、さらに、アンキセスは子アイネイアスに、子が地上においてまさに建設すべきローマの国家と、そこに出現すべき主要な人物であるローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの運命を話し描いて見せた。更にアイネイアスの遂行すべき運命にある戦と凌(しの)ぐべき苦難について告げ、夜半をすぎる前に地上の世界へ、アイネイアスと巫女シビュレを象牙の門より送り出した。アイネイアスはおのれを待つ船隊に赴き、クマエを出帆して一路イタリアに向った。
(参考)
@「金葉の小枝」・・・金なる、その葉はそのしなやかなる茎よりなり、木立全体がそれを隠蔽し、さらに暗く取り巻きたる谷がそれを塞いでいる。一つの金の枝が、その木より切り離されるならば、さらなる一つがそれに取って代わりてその幹なるが同じ金属の葉を芽だす。この金葉の小枝は、冥界の女王たるペルセポネ(ローマ名=プロセルピナ)に捧げられたのもであり、かの美しきペルセポネが、これの自分に持たされねばならぬ捧げものなりと定めた。
Aパリヌルス・・・眠りの神に船から突き落とされて命を落とすことになる舵取りの長パリヌルス。
B地獄の番犬ケルベロス・・・ケルベロスは首が三つ、尾が蛇という犬の怪物である。口からは火を吐き、心の弱い人間はその姿を見ただけで石になるという。
Cデイポボス・・・トロイアのプリアモス王と王妃ヘカベの子供。パリスの死後ヘレネを妻にするが、ヘレネの最初の夫のスパルタ王メネラオスに殺された。
Dアウグストゥス・・・「尊厳者の意」で、オクタビアヌスがローマ元老院から受けた称号。ローマ帝国の初代皇帝。
「金葉の枝」の版画の絵はこちらへ
「シビュレ(シビュラ)とアエネアスとカロン」(クレスピ)の絵はこちらへ
「地獄のアイネイアス」(スワーネンブルフ)の絵はこちらへ
         (ニ)
アイネイアスたち一行は途中、イタリア半島のある港に上陸した。ここで、アイネイアスの忠実な老乳母ガエータが死んだので、手厚く葬った。そして、その港を乳母の名にちなんでガエータの港と名づけた。それから再び船に乗り、アイネイアスたちは魔女キルケの住む土地の前を航海してティベル河に入り、その東岸、ラウレントゥム族の王ラティヌスのいるラティウムの土地に、新たなトロイアを築くべ上陸した。ラティヌス王は神託によって美しい娘ラウィニアを外国から来た男に嫁(とつ)がせるよう命じられていたため、娘をトロイア人のアイネイアスと結婚させ、両民族が平和に共存することを望んだ。しかし、母親の王妃アマタは、遠縁のルトゥリ族の若い王トゥルヌスに娘を約束していたので、これを拒んだ。アイネイアスは上陸するとすぐにラウレントゥム族の王ラティヌスに使者を送り、定住の許可を求めた。ラティヌス王はこれを許し、予言に従って娘ラウィニアを彼の妻にと申し出た。このことを知ったヘラ女神は復讐の女神の一人であるアレクトに命じて、王妃アマタとルトゥリ族のトゥルヌス王を怒りにさそい、アイネイアスに対抗させるように仕向けた。ここにトロイア人とルトゥリ族(トゥルヌス王)との間に戦いとなった。アイネイアスに好意的なラティヌス王は調停を試みたが、失敗して退(しりぞ)いた。こうして、ヘラ女神はヤヌスの門を開いて戦争の進行を促し、また進めた。近隣の諸族の大半はトゥルヌス王ヘ加担し、一部はトロイア人のアイネイアスに味方した。又、ラティヌス王は自ら望まぬながらもトロイア人に敵対した。
(参考)
@ヤヌス・・・ヤヌス神は二つの顔を持つ双面神である。門や入口の守り神でもある。
Aアレクト・・・三人の復讐の女神をエリニュスという。この三姉妹はウラノスの切り落とされた性器の血がガイアの中に入り生まれた。髪の一本一本が蛇であり、その姿はあまりにも恐れられ、この三姉妹の名はエウメニデスと呼ばれ真の名は恐怖故に隠された。アレクトは止まることを知らない女神。テシポネは復讐の声。メガエラは妬みの怒り。
「ティベル河に到着するアエネーアース(アイネイアス)」(コルトーナ)の絵はこちらへ
         (三)
ルトゥリ族の若きトゥルヌス王は各地方の諸民族を率いて、戦いの陣列をととのえ、ギリシャの英雄ディオメデスに使者を派遣し、加勢を要請した。一方、アイネイアスの夢枕には、河の神ティベリヌス(ティベル河の神)が立って言った「神のような英雄よ、ひるんではならぬ。お前にたいする神々の憎悪は消えている。おまえがただの幻(まぼろし)を見ているのだと思いあやまらぬために、ひとつその証拠を見せておこう。お前は岸辺のカシの木の下に、30匹の子豚を生んだ大きな白い母豚を見出すであろう。そこが三十年のちに、おまえの息子アスカニウスが、約束の町アルバ、つまり、ローマの都を建設する揚所なのだ。しかし、今は、迫り来る危険から身を守る方法をおぽえておくがよい。ここから遠くないアルカディアのエウアンデル王と同盟を結ぷのだ」。ティベリヌス神の姿が消え、アイネイアスはその忠告に従った。アイネイアスが二隻の船で出航するまえに、早くも河神の告げたことが実現した。森のふちのカシの巨木の下に、30匹の子豚をかかえた母豚が、雪のように白く輝いているのが見えた。そこで、河神の忠告を忘れずに、アイネイアスは母豚と子豚のすぺてを女神ヘラのために屠(ほふ)り、その供物によって、女神の怒りをなだめた。こうして、ラティウムの地にいる人々と敵対していたアルカディア王エウアンデルを求めて船出した。そして、ヘラクレス神の年祭においてアルカディア王エウアンデルに出会った。アルカディア王エウアンデルはアイネイアスに四百騎とその息パラスを援軍として与えた。さらに暴君であったメゼンティウス王を追放したエトルリアの諸部族を味方につけるよう助言した。トロイア軍の大将アイネイアスは自軍の一部をティベルの河岸に残し、他をひきいてエトルリアにいるエトルスキーの許に赴いた。エトルスキーはこの時、暴君メゼンティウスを追放して、そのあとに外国の人を自らの主人にすることを求めていた。エトルスキーとその一部はアイネイアスに加勢することになった。この間、アイネイアスの母アフロディーテ女神は火と鍛冶の神ヘパイストス(ローマ名=ウォルカーヌス)に依頼して兜、剣、鎧、そして細身の槍などの武器を鍛造(たんぞう)し、これをアイネイアスに届けた。
(参考)
@ディオメデス・・・ギリシャの英雄でティリンスの領主。トロイア戦争にギリシャ勢として参加し、しばしばオデュッセウスと組み、アテナ女神の加護を受けて活躍した。
Aエウアンデル・・・アルカディア人の国パランティウムの王。ヘルメス神と妖精カルメンティスの子。アイネイアスのローマ建国を助ける。
「アエネーアース(アイネイアス)の夢」(ロ−ザ )の絵はこちらへ
ウルカヌス(ヘパイストス)の鍛冶場を訪れたビーナス(アフロディーテ)」(ヴァン・ダイク)の絵はこちらへ
「新しい武具」(プーサン)の絵はこちらへ
         (四)
アルカディア王エウアンデルを求めて旅に出たアイネイアスの留守の間に、ルトゥリ族のトゥルヌス王はトロイア軍の陣営を襲い、トロイア軍の船隊に火をかけようとした。だが、船は神の助けにより海のニンフ(妖精)に変身させて害をのがれた。その夜、トロイア側の大胆な若者ニソスとエウリュアロスは、このことをトロイア軍の大将アイネイアスに通報する役をひきうけた。だが、途中に敵軍と出会い、敵の剣は、エウリュアロスのあばら骨を貫き、胸を切り裂いた。ニソスの周りには敵兵が押し寄せ、あちこちから攻めかかって来た。ニソスは、ついには向かい来る敵軍の剣に倒れた。こうして二人の若者は命を失った。朝になってルトゥリ軍の大将トゥルヌス王はトロイア軍の陣営を襲撃した。激しい会戦が始まった。この時が、アイネイアスの息子アスカニウス(ユルス)の初陣(ういじん)になった。トロイア軍のパンダルスとビティアスの兄弟は城門を開き、乱入するルトゥリ軍の兵を殺した。急いでかけつけたトゥルヌス王のためにビティアスは殺され、トゥルヌス王を追いつめたパンダルスもかえってトゥルヌス王の刃にかかって死んだ。しかし、衆寡敵せずで多勢のトロイア軍の前に、ルトゥリ軍の大将トゥルヌス王は退いてティペルの河岸に出ると、泳ぎわたって自陣に帰った。一方、対立するアフロディーテ女神とヘラ女神の和解が不調に終って、大神ゼウスは戦争の成り行きを運命にまかすことにした。引きつづいて、トロイア軍の陣営はルトゥリ軍に攻撃をうけた。その間に、アイネイアスは訪問先から与えられた援軍を三十艘の船に乗せてつれ帰って来た。ニンフ(妖精)たちによって、留守をする味方の状況を知らされたが、上陸と同時にルトゥリ軍の攻撃をうけた。アルカディア王エウアンデルの息子バラスは手勢を引き連れて、敵に向かって若獅子のように奮戦した。そこへ、暴君メゼンティウスとその子ラウススが現われた。そして、バラスは、メゼンティウスの投げ槍によって戦死した。バラスの戦死によってトロイア軍の大将アイネイアスは、大いなる怒りと復讐をもって敵軍を打ち崩した。そのとき、子アスカニウスが陣営から一斉に出撃して来た。これを見たヘラ女神は、危険に陥ったトゥルヌス王の近くにトロイア軍の大将アイネイアスそっくりな影法師を作って送り出し、トゥルヌス王と対決させた。そして、幻のアイネイアスを追うことによって、トゥルヌス王を危険な戦線から離れさせた。この奇計によってトゥルヌス王は救い出されたが、ルトゥリ軍に加勢したエトルリアの暴君メゼンティウスと、その子ラウススは共にアイネイアスに殺された。先に傷ついた父メゼンティウスをかばった子のラウススが殺され、ついで子の命と引き換えに一時逃れていたメゼンティウスもアイネイアスの剣で殺された。
(つづく)
(参考)
「ニンフに変わったトロイアの船団」(ジャン・マテウス)の挿絵はこちらへ
         (五)
トロイア軍の大将アイネイアスは、エトルリアを追放された暴君メゼンティウスを討った戦勝塚の建立して、勝利を祝った。そして、パラスの死を悼(いた)んだ後、パラスの遺骸をその父アルカディア王エウアンデルに返し、休戦して一般の死者の埋葬をした。ルトゥリ軍の大将トゥルヌス王の使者ウェヌルスが評定の会合に帰り、ギリシャの英雄ディオメデスを味方に出来なかったことを伝えた。それを聞いたラウレントゥム族の王ラティヌスは、アイネイアスと和平を結ぷ方に傾いた。そんな中、ルトゥリ軍の大将トゥルヌス王は部下に唆(そその)かされ、アイネイアスとの一騎打ちを考えるようになった。しかし、アイネイアスが寄せて来たとの報告に、一同は防禦に起ち上った。アイネイアスの騎馬隊は平原上を、徒歩の隊はアイネイアスと共に山側に沿って進撃して来たと聞いたトゥルヌス王は、女猟師である女傑カミラとその一軍を派遣して対抗した。そして自分はあとに残ってアイネイアスの来たるを待った。女傑カミラは側近である三人の勇敢な乙女と一軍を引き連れて、トロイア人とエトルリア人の同盟軍を次々と打ち破って行った。そこへ、エトルリア人の勇者アルンスが立ち現われた。勇者アルンスは、鬼神のように荒れ狂う女傑カミラの一瞬の隙をついて槍を投げた。槍は彼女の胸に命中し、慌てて側近の三人の乙女が近寄ったが、女傑カミラは落馬して命を落とした。アルテミス女神(ローマ名=ディアナ)は、可愛がっていた女猟師カミラの復讐のため、ニンフ(妖精)のオピスを送った。カミラを殺したエトルリア人の勇者アルンスは、オピスの放った矢で殺された。女傑カミラの死をきいて驚いたルトゥリ軍はその都城(とじょう)に逃げ込んだ。味方の救援のためトゥルヌス王は後衛の位置を出で、トロイア人とエトルリア人の同盟軍の侵入を遮(さえぎ)った。アイネイアスはトゥルヌス王を探し回ったが、この時、夜のとばりが降りて両軍は、トゥルヌス王の都城を前に対峙したまま夜をすごすことになった。
(参考)
@アルテミス女神・・・ディアナ女神はイタリアの古い、樹木・自然と多産・出産の女神。アポロン神の姉妹。ディアナ女神は、ギリシャ神話のアルテミス女神と同一。
Aオピス・・・元々はアルテミス女神の従者。誕生の手助けをする女神。
        (六)
味方の形勢が不利となったルトゥリ軍の大将トゥルヌス王は、ラウレントゥム族の王ラティヌスと王妃アマタのとめるをきかず、トロイア軍の大将アイネイアスとの一騎討ちを試みようとした。アイネイアスは承諸して場所を決めた。そして、アイネイアスとラウレントゥム王ラティヌスの間に契約がかわされた。もしアイネイアスが敗れたならぱ、トロイア人は、ただちにラティウムの地を引き揚げて、アルカディア王エウアンデルの町に退く。もし、アイネイアスが勝った揚合には、イタリア人とトロイア人は、それぞれ自由に、かつ自主的に同盟を結ぴ、ラティヌス王が統治する。アイネイアスは王女ラウィニアを妻にし、トロイア民族のために町を建設し、王女の名にちなんでその町を「ラウィニア」と名づける、というのであった。トゥルヌス王の妹でニンフ(妖精)であるユトゥルナは、ルトゥリ族の敵愾心をかき立てる一方で、敵将アイネイアスに向けて矢を射った。一騎討ち前に矢に当たって傷ついたアイネイアスは、トロイア軍に連れ去られた。トゥルヌス王はこの間も善戦していた。やがて、アフロディーテ女神によって傷を癒(い)やされたアイネイアスは戦いに立ち帰り、軍勢の先頭に立って、トゥルヌス王の都城を攻撃した。ラウレントゥム族の王妃アマタは館の高殿から、敵が押し寄せ、町の囲壁が奪取され、家に燃え木が投げ込まれているのに、トゥルヌス王やルトゥリ族の軍勢が敵を迎え撃つ様子がどこにもないのを見ると、こんな災いを受けるのも自分の罪だと叫ぴながら、自ら首をくくって死んだ。これを知ってトゥルヌス王は、再び一騎打ちを決断した。こうして両軍の大将同士の一騎討ちが始まったが、ニンフ(妖精)である妹ユトゥルナがトゥルヌス王を援助した為になかなか勝負がつかなかった。そこで、大神ゼウスとヘラ女神は話し合った。そして、ヘラ女神は「トロイア」の名が消えることを条件に、トロイア勢への憎しみを捨てることを承諾した。大神ゼウスは、復讐の女神を遣(つ)わしてトゥルヌス王の妹ユトゥルナに手を引かせた。こうして最後の一騎打ちが行なわれた。アイネイアスは槍で、トゥルヌス王は剣で互いに打ち合った。やがて、アイネイアスの投げた槍は、トゥルヌス王の盾と鎧を貫いて腰に突き刺さった。トゥルヌス王は、重傷を負って敗北を認めた。勝ったアイネイアスは、はじめは同情に駆られたが、エウアンデル王の子パラスを殺して奪った武具をトゥルヌス王が着ていたのを見て、遂にはこれを殺した。長い戦いは終わった。アイネイアスはラティヌス王の娘ラウィニアと結婚して、新都ラウィニウム(妻の名前を少し変えて)を築いた。さらにアイネイアスの息子アスカニウスは、その後、新都市アルバ・ロンガ を建設した。この子孫であるロムルスとレムスの双子の兄弟がローマを建国した。
(参考)
@ユトゥルナ・・・トゥルヌス王の妹。大神ゼウスに身を捧げる事により、水の妖精(ニンフ)となった変わり種。兄トゥルヌス王とアイネイアスとの一騎討ちに介入した。
Aローマを建国・・・本来、ローマという名前の起原になったのは、もう少し後の時代のロムルスという人物の時で、ロムルスは軍神アレス(ローマ名=マルス)が王女レアに産ませた息子で、怒った王によって、双子の兄弟レムスと共に川に流されたが、そのロムルスが後に築いた都市がローマであった。だからこちらの方がローマ建国の祖としては正統派。でもその時起きたいさかいでロムルスがレムスを殺したという汚点があった。それに対して、アイネイアスはアフロディーテ女神の息子で、トロイア戦争ではへクトルに次ぐ勇士。老父アンキセスを背負い、幼い息子アスカニウスの手を引いたアイネイアスには、ロームルスにはない美徳があった。「アエネーイス(アイネイアス)」の著者ウェルギリウスの時のローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(父ガイウス・オクタウィウスと母アティア(ジュリアス・シーザーの姪)との間に生まれる)がアフロディーテ女神の血統(ジュリアス・シーザーの属するユリア氏族はアイネイアスの息子アスカニウスから来ており、アフロディーテ女神の子孫)とされていたこともまた、ローマ建国の祖として相応しかった。
(おわり)
(参考)
「ラティヌス王の法廷のエーネアス(アイネイアス)」(ボール・フェルディナンド)の絵はこちらへ
「アエネーアース(アイネイアス)の治療」(ポンペイ壁画)の絵はこちらへ
「アエネイス(アイネイアス)の神格化」(ジャン・マテウス)の挿絵はこちらへ


(小話810)「トロイア陥落後のトロイア軍の英雄アイネイアス(アエネアス)とカルタゴの女王ディドとの恋。そして、その波乱に富んだ運命と新トロイア(ローマ)の建国(1/2)」の話・・・
         (一)
ギリシャ(ローマ)神話より。トロイアの英雄アイネイアスは、トロイア王家一族のアンキセスを父に持ち、母は愛と美の女神アフロディーテ(ローマ名=ウェヌス)であった。トロイア軍の中では総大将ヘクトルに次ぐ勇者として、ギリシャ軍に恐れられた。アイネイアスは、イダの山中に生まれ、山の妖精(ニンフ)に育てられ、美しく凛々(りり)しい若者に成長した。彼は戦争を好まず、又、義父のトロイア王プリアモスから参戦の要請もなかったので、妻(トロイア王プリアモスの娘)クレウサと子アスカニウス(ユルス)と静かに暮らしていた。だが、ギリシャからトロイア軍と戦うためにやってきた英雄アキレウスに飼っていた牛を盗まれると、トロイア軍として戦争に参加した。それは、戦争が始まって9年目の事であった。アイネイアスは、戦場では、大いに活躍し、何度もギリシャ軍を敗走させた。そんな中、ギリシャの勇者アルゴス王ディオメデスに立ち向かって危うくなった時は、母のアフロディーテ女神と太陽神アポロン(ローマ名=アポロ)に救われ、又、ギリシャ一番の英雄アキレウスと槍で対決し、危うくなった時には、海王ポセイドン(ローマ名=ネプチューン)に救われるなど、アイネイアスは神々の加護と恩寵を受けていた。10年目、総大将ヘクトルを討たれたトロイ軍は、戦意が落ち城門を閉め篭城(ろうじょう)作戦にでた。攻めあぐねたギリシャ軍は、知将オデュッセウスを中心に「トロイの木馬」の策略を考えて実行した。こうして、トロイアの城門を開くと無防備のトロイア軍に襲い掛かかった。成す術(すべ)のないトロイア軍は屍(しかばね)の山を築くだけであった。トロイア軍の英雄アイネイアスは最後までギリシャ軍と戦おうとしたが、母のアフロディーテ女神と総大将ヘクトルの亡霊に「トロイアの民(たみ)を率(ひき)いてイタリアに向かい、新しい国を作るよう」に諭(さと)された。そこで、アイネイアスは年老いた父アンキセスを背負い、子アスカニウス(ユルス)を伴い、妻クレウサと共に、部下をひきいて城外にのがれた。しかし混乱の間に妻を見失ったので、これをさがして敵軍の占領する城内に再び潜入したアイネイアスの前に、亡霊となったクレウサが現れた。そして妻クレウサは、アイネイアスに脱出を勧め、また将来の再婚を予言した。アイネイアスたちがトロイアを脱出した頃、トロイア王宮の中では、トロイアの女達が絶望して集まっていた。そこにプリアモス王の王女カサンドラが現われ、アイネイアスが、無事に脱出したことを告げた。彼女らは、アイネイアスらとその子孫に望みを託し、ギリシャ人の手にかかる前に全員が自害した。アイネイアスたちは、落ち延びる者たちが再び集まることになっていた、イダ山麓の小さな港町に到着した。そこには、数多くの老若男女が既に待っていた。トロイアの英雄アイネイアスと共に新天地で生きていこうと言うのだった。こうして、アイネイアスは新しいトロイアの国を作るために、落ち延(の)びたトロイアの民(たみ)と共に二十隻の船で出帆した。
(参考)
@トロイアの英雄アイネイアス・・・アイネイアスの父アンキセスの祖父とトロイアの王プリアモスの祖父は兄弟のため、アイネイアスはトロイア王家の本家とは遠い親戚になる。(小話469)「美と愛の女神・アフロディーテの誕生とその恋の遍歴」の話・・・を参照。
Aトロイア軍の中では総大将ヘクトル・・・トロイアの英雄。トロイア王プリアモスと王妃ヘカベの長男で、アンドロマケの夫。トロイア戦時にトロイア方の総大将として奮戦したが、最後にアキレウスとの一騎打ちに敗れて戦死。(小話668-670)「トロイア(トロイ)戦争・スパルタの美しき王妃ヘレネと王子パリスの恋。そして英雄アキレウスの活躍とトロイの木馬」の話・・・を参照。
B英雄アキレウスに飼っていた牛を盗まれる・・・アイネイアスは最初はトロイア戦争に加わらなかったが、アキレウスがイダ山麓の市を攻略するに及んで参加したという説もある。
C母のアフロディーテ女神と太陽神アポロン・・・アイネイアスと友人のパンダロス(弓の名手)の二人は、戦車でギリシャの勇者アルゴス王ディオメデスに立ち向かった。だが、パンダロスは槍の投げあいで撃ち負け、最後を遂げた。アイネイアスは戦友の遺骸を運ぼうとしたが、ディオメデス王が大岩を投げつけ傷を負わせた。さらにディオメデス王は、アイネイアスを救おうとした母のアフロディーテ女神をも傷つけた。アフロディーテ女神からアイネイアスを受け取った太陽神アポロン(ローマ名=アポロ)はディオメデス王に言った「神と対等とは思うなよ。不死なる神と地上を歩む人間とは種族が違うのだぞ」。ディオメデスはアポロン神の怒りを避け、退いた。
D英雄アキレウスと槍で対決し・・・アイネイアスが打ち込んだ槍は、アキレウスの黄金の楯の五枚の板の内、二枚しか突き通せなかった。つづいて、アキレウスの投げた槍はアイネイアスが高く掲げた楯を貫(つらぬ)き、アイネイアスの後ろの地面に突き刺さった。アイネイアスは楯を貫かれて恐ろしくなった。この時、海王ポセイドン(ローマ名=ネプチューン)は、英雄アキレウスの両眼に濃い靄(もや)をそそぎ、アイネイアスを高々と持ち上げて宙に放り投げた。アイネイアスは、気がつくと遠く戦場の外に倒れていた。
「トロイアの陥落と脱出」(モンス・デジデリオ)の絵はこちらへ
「アイネイアスの脱出」(バロッチ)の絵はこちらへ
「エーネアス(アイネイアス)、アンキセス、およびアスカニウス」(ベルニーニ)の彫像の絵はこちらへ
「トロイアから逃れるエーネアス(アイネイアス)、アンキセス、およびアスカニウス」(プレティ)の絵はこちらへ
「アンキセスを運んでいるエーネアス(アイネイアス)」(カールバン)の絵はこちらへ
「トロイアから出発するエーネアス(アイネイアス)と彼の家族」(ルーベンス)の絵はこちらへ
「トロイアからイタリアのラティウムまでの地図」の絵はこちらへ
         (ニ)
トロイアの英雄アイネイアスは、二十隻の船をひきいて、まずトラキアに到着し、最初の都市を建設した。その名をアイネイアスの名前に因(ちな)んでアエネアダエ (アイネイアスの子ら)と名付けた。さらにアイネイアスは、着手した事業の幸先(さいさき)を祈って、神々に生贄(いけにえ)を献げるための祭壇を覆う、葉の茂る枝を求めて緑の木を地面から引き抜いた。すると、根から黒い血の滴(しずく)が流れ落ちた。再び別の枝を引き抜こうとししたが、再び黒い血が樹皮から流れ出た。三つ目の枝を引き抜こうと、地面に膝を押し当てると、地面の底から哀れなうめき声が聞こえてきて「なぜ惨めな者を引き裂くのか、アイネイアスよ。埋葬されている者に手を出すことを控えよ。敬虔な両手を罪で汚すことを控えよ」と言い、自分はトラキア王ポリュメストルで、自分の身を刺し貫いた槍が体を覆い、そのまま成長したのだと言った。アイネイアスたちは、小山に土を盛って墓とし、祭壇を作り、献げ物をして葬儀を行い、ポリュメストルの魂を墓に納めた。次にアイネイアスの一行は、デロス島へ着いた。アポロン神の誕生した土地で、そこで神託を求めたら、「祖先の地へ帰れ」と告げられた。先祖はクレタ島から来たと聞いていたので、アイネイアスの一行はそこへ向かった。クレタ島に着いたアイネイアスたちは「ペルガムム」という名の都を建設し始めるが、突然、疫病と飢饉が町を襲った。父のアンキセスは、再びデロス島に戻ってアポロンの神託をうかがうことを勧めたが、夜にアポロン神から遣(つか)わされたトロイアの守り神たちが、アイネイアスの前に現われ、彼らの誤りを教えた。これをアイネイアスはから聞いた父アンキセスは、自分の判断が誤っていたことに気付き、誰からも信じてもらえなかったカサンドラ(トロイア王プリアモスの王女で予言者)が、イタリアがトロイア人の定めの場所だとしばしば予言していたことを思い出した。ここでアイネイアスたちは、本来、神々の指向された目標はイタリアにあったことを悟(さと)った。
(参考)
@ポリュメストル・・・トロイアのプリアモス王はギリシャ軍によってトロイアが包囲されたとき、末の息子ポリュドロスを莫大な黄金を添えて、トラキア王ポリュメストルに送り、養育を託した。トロイアが戦いに敗れると、トラキア王はギリシャ側に寝返って神聖な掟を破り、ポリュドロスを殺害し、黄金を手に入れた。(小話682)「トロイア陥落後の女王ヘカベの悲劇」の話・・・を参照。
Aカサンドラ・・・トロイヤの王女。アポロン神に愛されて予言能力を与えられたが、求愛を拒んだため、その予言をだれも信じないようにされた。(小話595)「トロイヤの美貌の王女カサンドラ。予言者となった、その悲劇の一生」の話・・・を参照。
「アイネイアスのいるデロス島の海辺」(クロード・ロラン)の絵はこちらへ
         (三)
しかし、クレタ島から船出したアイネイアスたち一行を嵐が襲い、彼らは海上を三日三晩さまよった。嵐に翻弄された末、アイネイアスたちは女面で鳥の翼とかぎ爪を持った怪鳥パーピィ(ハルピュイア)の棲むストロパデス諸島にたどり着いた。アイネイアスたち一行が、牛と山羊を捕らえて食事をしている所へパーピィたちが飛んできて食物を汚(よご)した。そこで彼らはパーピィに戦争をしかけたが、パーピィの長(おさ)ケラエノーは「アイネイアスたちはイタリアへは着けるであろうが、飢えと、自分たちを殺害しようとした罪が彼らに食卓をかじらせるだろう」という恐ろしい予言をした。再び、アイネイアスの一行は海に出て、テッサリアのアクティウムの地に着き、そこで大神ゼウスに祈りを捧げ、祭壇で浄(きよ)めの式を行い、奉納競技を行なった。やがてアイネイアスは、エピルスのブトロートゥムの町で、トロイア軍の総大将ヘクトルの妻アンドロマケに会った。そして今の夫、トロイア人のヘレノス(予言能力を持つカサンドラと双子で予言能力があった)に歓待された。またヘレノスよりアイネイアスは、前途の詳しい予言を得た。ヘレノスは「運命の女神が残りを知ることを許さず、ヘラ女神(ローマ名=ユーノー)がすべてを話すことを禁じる」とは言いながらも、アイネイアスたちの旅は大神ゼウス(ローマ名=ユピテル)が定めた運命であること、建国すべき場所は川辺のカシの木の下で、30匹の子豚を生み落とした白豚が横たわっている所であり、また食卓をかじるという予言については心配する必要がないことを教えた。さらに、イタリアへの行き方についても具体的な指示を与えた。目的の地はイタリアのこちら側ではなく、遠いこと。そして、イタリアのこちら側の岸はギリシャ人が住んでいるので避けること。かつて陸続きであったイタリアとシキリア(シシリー)が裂けた場所の両側にいる怪物スキュラとカリュブディス(恐怖の岩礁)を避け、遠回りでもシキリアを回って迂回すべきこと。また何よりもヘラ女神に祈願し、ヘラ女神の力を得るようにすべきこと。イタリアではクマエの巫女(みこ)シビュレ(シビュルラ)から更なる予言を求めるべきこと。また宗教的儀式についての指示などを与えた。
(参考)
@怪鳥パーピィ(ハルピュイア)・・・顔と胸までが人間の女性で、あとは巨大な鳥の姿をした怪物。女面鳥獣。パーピィは「かすめとる者」「むしりとる者」という意。いつもお腹を空かせており、食べ物めあてに人間を襲ったり、また腐った肉や屍肉を食らうともいわれている。パーピィは、虹の女神イーリスと姉妹関係にある。オキュペテー、ケラエノー、アエローの三人姉妹が有名。「(小話761-762)「金羊皮を求めてアルゴー船の大冒険。そして、王子イアソン以下五十名の勇士(アルゴナウタイ)の活躍と王女メディア」の話・・・を参照。
A怪物スキュラ・・・スキュラとは上半身が美しい乙女、下半身が恐ろしい6頭の蛇という怪物で、海峡を通過する旅人をその6つの蛇頭で喰らっていた。このスキュラ、もともとは美しい少女だったのだが、海の神グラウコスによってこのような醜い怪物になってしまった。(小話296-1)「魔女・キルケとメディアとスキュラ」の話・・・と(小話579)「普通の人間から海神となった漁師、グラウコス」の話・・・を参照。
Bカリュブディス(恐怖の岩礁)・・・カリュブディスは、この海峡に発生する大渦巻きのことで、一日に三度、海底にある岩の裂け目に水が流れ込むので、海面に大渦巻きが発生し、これに巻き込まれると例え海王ポセイドンでも助けることができないという。(小話296)「魔女・キルケとオデュッセウス」の話・・・を参照。
「ハルピュイア(パーピィ)と戦うエーネアス(アイネイアス)と彼の仲間」(ペリエ)の絵はこちらへ
         (四)
こうしてアイネイアスたち一行は、イタリアヘ向って出帆した。途中、怪物スキュラと渦巻きのカリュブディスを避けて、シキリア(シシリー)島のアエトナ山の近くに上陸したアエネアスたちは、火山の轟音を恐れながら真っ暗な一夜を過ごした。翌朝、森の中から衰弱し、汚(よご)れ果てた男が出て来て、名前をギリシア人で、オデュッセウス(ローマ名=ウリクセス)の従者アカエメニデースと名乗った。そして、仲間たちが一つ目巨人キュクロプスの住む洞窟内で食われてしまったで、ポリュペモスという名の一つ目巨人の目を槍で突いて、敵討(かたきう)ちをしたという。彼が話し終わるか終えないうちに、盲目のポリュペモスがやって来て、大声をあげた。森や山から他のキュクロプスたちが出て来たので、アイネイアスたちは船で逃げ出した。そして、シキリア島の海岸沿いを進んだ。シキリアのアケスタに着いた時、寄る年波と、長旅の疲労と緊張が重なって父アンキセスが死んだ。さらにアイネイアスたちは、イタリア本土に向った。だが途中で、トロイア勢を憎み続けている女神ヘラは、風の神アイオロス(ローマ名=アエオルス)を使って、海上に暴風を起した。わずかに七隻の船と共にアイネイアスたちは、アフリカのリビュアの海岸に吹きつけられた。この不運を嘆くアイネイアスの母であるアフロディーテ女神を、大神ゼウスはなぐさめ、使いの神を地上に遣(つか)わして、その地リビュアのものが、アイネイアスとその一行を客として受けいれるように工作させた。リビュアの海岸に打ち上げられたアイネイアスは友人アカテスと二人で、その未知の地の様子を視察に出かけた。森の中でアイネイアスは、狩の女の姿をした母のアフロディーテ女神に出会った。アフロディーテ女神はアイネイアスと友人を黒い雲に包んで他人の目より隠したまま、無事その地の都カルタゴに到着させた。そこでアイネイアスと友人アカテスは、嵐ではぐれた部下たちと再会した。その頃、アフロディーテ女神は我が子エロス神(ローマ名=クピードー)に命じて、カルタゴの美しい女王ディドに愛の矢を射らせた。このため、女王ディドは歓待と好意を持ってアイネイアスたち一行を受け入れることになった。
(参考)
@ポリュペモス・・・・一つ目巨人キュクロプスのポリュペモスはオデュッセウスに目を潰されたという説もある。(小話707-708)「トロイア陥落後のギリシャ軍の知将オデュッセウス。その波乱に満ちた数奇な大冒険」の話・・・を参照。
Aアイオロス・・・風の王。あらゆる風神たちを支配し、思いのままに解き放ったり封じたりできる。
「カルタゴのアイネイアスに現れる母ウェヌス(アフロディーテ)」(ティエポロ)の絵はこちらへ
「アイネイアスの前に現れるヴィーナス(アフロディーテ)」(コルトーナ)の絵はこちらへ
         (五)
美しい女王ディドは妹アンナに、トロイアの英雄アイネイアスに対する愛の心をうちあけ、正式に結婚して政権を共同に持ち、またアイネイアスの力によって、四方よりカルタゴをうかがう外敵よりの安全を守ろうとした。一方、アイネイアスに常々妨害を加えて、彼がイタリアに到着して新トロイア(ローマ)の建設を成就させるのを恐(おそ)れていた神々の女王ヘラ女神は、アイネイアスを美しい女王ディドによって長くカルタゴに引きとどめ、定着させるのを有利と考えた。そこでヘラ女神は、この一見、彼に好意を持つかのごとくの結婚についてアイネイアスの母のアフロディーテ女神と相談した。アフロディーテ女神はヘラ女神の下心を知りつつ一応それに応じた。カルタゴ勢とトロイア勢が共同で狩りをしている最中に大雨となり、同じ洞窟に逃げ込んだアイネイアスとディドがその場で結ばれた。それが「噂」になり、ディドの求婚者であった北アフリカのリビアの王イアルバスに知れた。イアルバス王は大神ゼウスに訴えた。訴えを聞くと、大神ゼウスは息子の伝令神ヘルメス(ローマ名=メルクリウス)を呼び寄せた。「アイネイアスは、敵対している国で、何をしようというのか? わしがあの男を二度もギリシャの軍勢から救い出し、またたびたびの嵐から逃れさせたのは、こんなことをさせる為ではない。ローマを創設させる為だったのだ! あれをすぐに立ち去らせよ。それがわしの命令だ! おまえはこのことをアイネイアスに伝えてくれ」。伝令神ヘルメスは有翼のサンダルを履くと、鳥のように空を飛んで行った。そして伝令神ヘルメスは、アイネイアスに早くイタリアに去るべきことを伝えた。アイネイアスのひそかな出発の準備を知って、女王ディドは嘆き怨(うら)んだ。しかし使命のためこれを顧(かえりみ)ることが出来ず、固い決意の下にアイネイアスの船隊は出帆した。これを知って怨みつつ呪いつつ、かつ自殺の決心をかくしながら、その準備を妹アンナにディドは命じ、火葬の薪を積ませ、その上でアイネイアスから贈られた剣で自らを突き刺した。衝撃の噂が町中に広がった。ディドの妹アンナは嘆き悲しんだ。しかしディドはなかなか死ねず、いたずらに苦しみ続けた。女神ヘラは、これを憐れんで虹の女神イーリスを遣(つ)わした。イーリスは、ディドの髪の先を切り取って冥界に捧げ、これによって彼女を死へと解放した。
(参考)
「アイネイアスとアスカニオスに扮したクピドを迎えるディド」(ソリメーナ) の絵はこちらへ
「ディドにアスカニオスに扮したクピドを紹介するアイネイアス」(ティエポロ)の絵はこちらへ
「ディドとアイネイアス」(ルーベンス)の絵はこちらへ
「エーネアス(アイネイアス)の前に現れるマーキュリー(ヘルメス)」(ティエポロ)の絵はこちらへ
「ディドーとエーネアス(アイネイアス)がいる風景」(トーマスハンプソン)の絵はこちらへ
「トロイアの陥落をディドに語り聞かせるアエネアス(アイネイアス)」(ナルシス・ゲラン)の絵はこちらへ
「カルタゴのディドーに対するエーネアス(アイネイアス)の送別」(クロード・ロラン)の絵はこちらへ
         (六)
嵐にさいなまれつつアイネイアスの一行は、再びシキリア(シシリー)に漂着して、そこの王となっているトロイア生まれのアケステスの客になり好遇された。そして、この地に葬られた父アンキセスの墓のかたわらで、その命日の儀式に奉納の葬礼競技を催した。しかし、長い航海に疲れきっていた女性(母親)たちは、ヘラ女神の意をうけた虹の女神イーリスにそそのかされ、海岸におかれた船隊に火を投げ入れて焼いた。直(ただ)ちにかけつけたアイネイアスの祈りにより大神ゼウスは豪雨を降して火を鎮(しず)め、四隻のほかは大体無事であった。アイネイアスは残った船を修覆し、女性たちおよぴ航海に倦むものたちを残してこの地に都(アケスタ)をつくって住まわせ、これをアケステス王に託して、自身はイタリアの本土、ティベルの河口に向って、部下をひきいて出発した。この時、アフロディーテ女神は、アイネイアスの一行が目的地に無事にたどりつけるよう協力して欲しいと海王ポセイドンに頼んだ。海王ポセイドンは承知したが、一人だけ船員の中から生贄(いけにえ)を欲しいと所望した。海王ポセイドンが選んだのは舵(かじ)取りのパリヌルスであった。こうして、舵の長(おさ)パリヌルスは航海の途中、眠りの神に突き落されて、海中に死んだ。これからの前途に関して、アイネイアスの夢に亡き父アンキセスが現われ「お前に話さなければならないことがある。私がそっちの世界に行くわけにはいかないから、こっちの世界に来てくれ。こっちの世界へ来る方法はクマエのアポロン神の巫女シビュレに聞きなさい」と告げた。
(つづく)
(後編は(小話811)「トロイア陥落後のトロイア軍の英雄アイネイアス(アエネアス)とカルタゴの女王ディドとの恋。そして、その波乱に富んだ運命と新トロイア(ローマ)の建国(2/2)」の話・・・へ)


(小話809)「武道の極意(相撲取りと商人と武士)」の話・・・
           (一)
柳生心眼流の名人、小山左門は江戸時代の人で、奥州柳生(宮城県柳生町)の住人であった。壮年の頃は江戸に勤番(きんばん)して勇名をはせたが、晩年は竿(さお)を担(かつ)いで魚を釣るのを楽しみにしていた。ある夕方、竿を肩にしてくると、草相撲の大関をはった大力の男が、後ろから力いっぱい組み付いてきた。さすがの小山左門もちょっとはずせない。痛めるのも気の毒と思って「おい、お前の力はそれだけか」と言うと、男は「なにおっ」と、もっと力を入れようとかかえをなおそうとした。その瞬間パッとはずして、肩を越して前に投げつけた。これは、もっと強く抱えようと力を入れる前に、ちょっと力が抜けるのを利用した臨機応変の対応であった。
           (二)
昔、仙台の狭川新陰流の名人、狭川弥門の道場に、仙台で手広く商売をしている商人が入門を願い出た。弥門は早速、道場に通して木刀を手にし、この商人に打ちかかって、道場をグルグルと追い回し、一時間近くも痛めつけた。毎日毎日、繰り返して追い回し剣術は少しも教えなかった。一ヶ月もたったので商人は、心の中に大いに不満を持って「どうぞ剣術を教えてください」と頼んだ。すると弥門は「商人は剣術を習っても利益にはならん。もし危険に出会ったら早く逃げるにこしたことはない。それで逃げ方を教えたのである。武士というものは、決して逃げることはできないし、いつでも死を覚悟して事に当たらなければならない。商人とは、全く心構えが違うものである。この覚悟がなければ武術を修行しても上達することはできない」と答えた。商人は非常に感服して、礼を厚くして帰ったという。
           (三)
徳川将軍指南役の柳生宗矩のところに、入門を願い出たものがあった。宗矩は、この武士をひと目見て「貴殿は一流に達した達人と見えるが、何故に入門を希望するか?」とたずねると「私は一度も武芸を修行したことがありません」「さては余を試しに来たのか? 将軍家の指南役をする余の目を偽(いつわ)ることはできぬぞ」と宗矩は言った。すると、この武士は「私は子供の頃から、武士は命を惜しんではならぬと厳しく言い聞かせられました。いつもこのことを心掛けて、今では死ぬことをなんとも思わないようになりました。このほかに思い当たることはありません」と答えた。宗矩は非常に感心して「兵法の極意もその一事である。これまで数人の高弟があったが、極意を許したものは一人もない。あらためて剣を学ぶ必要はない」と言って、免許皆伝の巻物を授けたという。それから宗矩は人に語って「大剛(だいごう=非常に強い人)に兵法なし。死生の悩みを解脱した真人(しんじん=人格を完成した人)にはもはや武道の必要はない」と。


(小話808)「一休禅師とある老人。そして、仏陀と弟子」の話・・・
       (一)
一休禅師のところへ、ひとりの老人が尋ねてきた「私は今年80歳になって、先がもう短いような気がしてなりません。いつお迎えがくるのかと思うと、不安でなりません。できればもう少し長生きがしたいと思うのです。つきましては、長く生きられるようなご祈祷(きとう)をしていただけませんでしょうか?」。すると一休禅師さんは、こう言った「よかろう。ところで、どのくらい長生きがしたいのだ」。「はい、100くらいまでは生きたいですわね」と老人が答えた。「これは欲のない人だ。本当に100年だけでいいのかな?」。一休禅師が、あきれたように言うと、老人はびっくりして「そ、それでは150歳までお願いいたします」と答えた。「ほう、150歳か・・・ますます欲がない人じゃのう」。「では、300歳までお願いいたします」と老人が思いきったように言うと、一休禅師は、こう言って諭(さと)した「ご老人、考えてもみなされ。あと50年や100年、よけいに生きてみたとして、いったい何になる? そんな小さなことを望むくらいなら、どうして永遠に生きようという大きな欲を持たぬのじゃ。お釈迦さまの教えは、不生不滅じゃ。それによって安心決定(あんじんけつじょう)するのが仏教の本領。仏の教えを学び実践することで、我々は真理に目覚め、永遠に生きるのだ。どうせなら、そんな大きな望みを抱いてはどうだ。もちろん、今からでも決して遅くはないぞ」。老人は、一休禅師の教えに心から感服し、その後は仏の道を学び、心安らかな人生を生きるようになったという。
(参考)
@一休禅師・・・室町中期の禅僧。後小松天皇の落胤(らくいん)といわれる。京都大徳寺住持となるが同時に退山。禅宗の腐敗を痛罵(つうば)して自由な禅のあり方を主張。詩・狂歌・書画に長じ、また数々の奇行で有名。著に詩集「狂雲集」など。
A安心決定・・・浄土教で、阿弥陀仏の誓いを信じて、少しの疑いもなくなること。転じて、信念を得て心が定まること。
       (二)
かつて仏陀(ぶつだ=お釈迦さま)が弟子たちに、次のように尋ねた「人生の長さは、どのくらいあると思うかな?」。当時は、50年も生きれば長生きだとされていたような時代であったので、誰かが「50年」とまず答えた。仏陀は、微笑んで言った「違うな」。すると弟子たちは、口々に答えた「40年」「30年」そのたびに、仏陀は、首を振った。「それではいったい、どのくらいなのです?」としびれを切らした弟子の一人が聞き返した。すると仏陀は、こう答えた「人の命は、一呼吸する間しかないのだ」と。
(参考)
@「40年」「30年」・・・(小話178)「人生は一息」の話・・・を参照。


(小話807)「古代ギリシャの七賢人(その3)、弁論の賢者ビアス(ビアース)」の話・・・
           (一)
古代ギリシャで法廷論争に秀でていた賢人ビアスは、テウタメスの子でイオニア人が築いた古代都市プリエネの人で、時には七賢人の筆頭として名前を挙げられるほどの俊英であった。彼の頭脳は、弁論術や修辞学、論理学などの分野で優れた能力を発揮し、特に訴訟の弁護において非常に強力な才能を持っていた。彼はイオニア植民市の繁栄を考え、人間が踏み行うべき倫理について深く思索を巡らした。こうしてビアスは、言論において最も恐るべき、同時代の人たちの第一人者になった。しかし、話すことの力を、多くの人たちとは異なった仕方で用(もち)いた。それは、賃金労働のためでなく、まして収益のためではなくて、不正に裁かれた人たちの救済のためであった。これはきわめて稀にしかお目にかかれないことであった。リディア国のクロイソスは王位につくと、様々な口実をつけて小アジアのギリシャ人の都市を次々と征服していった。そして陸地にはもう征服する町がなくなってしまうと、今度はエーゲ海に浮かぶ島々のギリシャ人の都市に目を付けた。そのためにクロイソス王は船の建造にとりかかった。当時、リディアの都サルディスにいたギリシャ人のビアスは、この話を聞いてクロイソスに面会を求めて、陸の民族が海の民族に海戦を仕掛けることの愚さを悟らせたという。
(参考)
@七賢人・・・ギリシアの7賢人とは、タレス・ソロン・ペリアンドロス・クレオブゥロス・ケイロン・ビアス・ピッタコス。(その他、アナカルシス・ミュソン・ペレキュデス・エピメニデスも入るという)
Aリディアのクロイソス・・・(小話608)「賢者ビアスの忠告」の話・・・を参照。
           (二)
プリエネ人たちの言い伝えでは、賢人ビアスはメッセニアの名のある生まれの乙女たちを掠奪者たちから身請けして、自分の娘として大事にした。そして、しばらく後に、親族たちが探しまわってやって来ると、彼女たちを返してやったが、養育費も身代金も受け取らず、それどころか逆に、自分のものの中から多くを贈り物としたのであった。だから、一緒に暮らしたことと善行の大きさゆえに、彼に対して乙女たちは父親に対するような好意を持ち、自分の親族といっしょに祖国に帰った後も、異郷での親切を忘れることはなかった。ある時、ミレトスの漁港で漁師たちが投網で、他には何もなかったが、たった一つ「最高の知者へ」という印刻のある黄金の鼎(かなえ)だけを引き上げた。漁師たちは鼎をミレトスの賢者タレスに贈ったが、タレスは、自分は賢者ではないといって、これをプリエネの賢者ビアスに贈ったという。又、ビアスは、祖国プリエネが占領されて逃げる際、何も持たずに逃げた。その理由を問われて彼は「自分のすべての財産」が自分の「知恵」であると答えたという。賢者ビアスは、心身共に衰えた高齢の時に、法廷における弁護演説を依頼されたが、それを快(こころよ)く引き受けて、相手側の弁護人の演説が終わり、裁判官がビアスの依頼人に有利な判決を下したときに、愛する孫の胸の中で息を引き取ったという。
(参考)
@黄金の鼎・・・「もっとも賢い人のもの」との神託があった黄金の鼎はミレトスの賢者タレスに贈られたが、タレスは、自分は賢者ではないといって、これをプリエネの賢者ビアスに贈った。ビアスはまたそれを他の人に贈り、鼎は巡り巡ってふたたびタレスの所へもどって来た。タレスは鼎をアポロンの神殿に納めた。鼎が巡った人々をギリシアの七賢人という説もある。(小話793)「古代ギリシャの七賢人(その1)、哲学の祖タレス(ターレス)」 の話・・・を参照。
           (三)
賢者ビアスは、次のようなアフォリズム(格言)を後世に残している。
(1)偶然によっても多くの人々に、豊かな財産は備わるものだ。
(2)不幸に耐えることが出来ない人こそが、本当に不幸な人である。
(3)つまらない人間を、富のゆえに称賛するな。
(4)不可能なことを欲求するのは、魂の病気である。
(5)人間にとって甘味なものは「希望」だ。
(6)汝がよいことをしたら、それを神のせいにして、汝のせいにするな。
(7)人生における困難なこととは、事態がより悪い方向へと変化していくときに気高く耐えることである。
(8)大抵の人間は劣悪である(人を愛する時には、いつかは憎むことになるかもしれぬように愛せ、なぜならたいていの人間は劣悪だから)。
(9)青年から老年への旅支度として、知恵を用意せよ、これはどんな持ち物よりも確かだからだ。
(10)力の強い者となるのは、自然(生まれつき)の業であるが、祖国の利益を語ることの出来る能力は、魂と思慮だけに属することである。
(11)「海を飲み干せ」といわれて「うん、じゃあその間、川は全部せきとめくれ」。
「ビアス(ビアース)」の像の絵はこちらへ