兵庫国体は平成18年に行われ、岐阜選抜は1回戦香川県(香川クラブ)と対戦した。
1回戦      岐阜県(岐阜選抜 ) ×   香川県(香川クラブ)
                       2−0
準々決勝    岐阜県(岐阜選抜)  ×   沖縄県(中部徳州会病院)
                       1−2
5−7位決定戦 岐阜県(岐阜選抜) ×   富山県(北陸電力)
                       2−0
当時のメンバーは、岐阜クラブ8名、チューズディー3名、川崎重工1名の混成チームでした。
この頃は、岐阜クラブが東海選手権で初優勝(岐阜県勢がこの大会で優勝したのは51年ぶり)、チューズディーがクラブカップ3位と岐阜県勢の活躍はすごかった。
どこのチームも若くて勢いがあった。いま振り返ると怖いもの知らずであったと思う。
しかし、岐阜選抜としては、まとまって練習出来たのがたった2回しかない現状でした。結果は5位入賞の裏腹に当時のレギュラー陣には大変プレッシャーと負担がかかった時期ではなかったと思う。さらに国体の選手に選ばれず一緒に練習する岐阜クラブのメンバーには大変申し訳ないと思った。
クラブチーム同士の選抜だと、スケジュールの関係や目的意識の違いか自分のチーム練習が優先だった…。

兵庫国体を最後にチームを退く選手もいた。
若い選手が自分たちよりも先に引退していく姿は、今後の期待が大きかっただけにチームに与える影響も大きかった。
この当時は選手の人数も不足しており、1人でも多くの選手が必要であった。


時は流れ、平成19年
新メンバー加納浩二選手、長屋明宏選手…加入

19年は今までの年月を考えると非常に苦しい状況でした。
兵庫国体ですべてを使い果たしたのか思うように試合が組み立てれない。試合に出場するはずの選手が当日試合に来れなくなる。
チームのレギュラーが安定しない。と、中途半端な状況が何回か続いた。
兵庫で勝てたから…。とか、あそこには大丈夫…。とか、根拠のない自信がチームを低迷させた原因であったと思う。
練習に来なくなった。許してしまって良いのか?許されることなのか?
試合に負けてから…「こんなはずじゃない…」自分たちの目標は?こんな状況だから負けてもしょうがない。なんだそれ?
新しく入ってきた選手に伝えなくてはいけないこと。岐阜クラブとは?
<平成19年試合結果>
東海大会:準決勝…三重県『松下電工津』にフルセットで敗退。
クラブカップ:予選リーグ…岡山青年クラブにフルセットの末勝利、2回戦…神奈川県『平塚クラブ』にフルセットで敗退。
ミニ国体:決勝…静岡県にストレートで敗退。
東海クラブ選手権県予選:決勝…美濃加茂クラブにフルセットで敗退。
県クラブ選手権:決勝…チューズディーにフルセットで敗退。

チームってもろい…。

何が原因かと今振り返ると…。選手1人1人が以前のようにチームを大事にしなくなったことが原因なのかなって思います。
自分が練習にいなくても…。今回練習にいけなくても…。相手が見えていなかった。監督に病気とも言われるチーム状況。連続ミスの伝染病。
本当の敵は自分自身の中にある弱い気持ちである。そう感じます。
試合で出来ないから練習する。練習するから試合で試したい。弱い気持ちを練習で作り直したから試合で自信に変わる。
試合で出来なかったから練習する。練習に真面目に取り組むから誰もが認めてくれる。
練習時間に間に合わなくてもボール拾いくらい出来る。練習に行けないなら誰かに伝える。

みんな揃っての練習が全然出来なかった時期だったと思う。負け方もひどかった。
選手達も不安定な時期を過ごした。
平成19年…引退・休部選手 服部成選手、長屋明弘選手、福富恵介選手


平成20年

加入選手:杉山新太郎選手、汐満大志選手

病気×2と言われ続け苦しい中に新しい光が降り注いだ一年でした。
一番は抜けた選手のポジションに即戦力の杉山選手が定着したこと。
汐満大志選手は高校卒業後、チームに持ち前の笑顔とキャラで元気を与えてくれたこと。
何か吹っ切れた!!
去年の苦しさがMAXで頭おかしくなったか。選手1人1人が変わり始めてきた4月、5月でした。
国体の監督問題で悩まされるチーム。選手達は苦しみ自分たちで考えるようになった。
監督を務めるのは選手の中から…。その課題を与えられたチームは果たしてどう変化していくのか…。
6月東海選手権
瑞浪市民体育館:1回戦…中電三重、フルセットの末勝利
           準決勝…オールブラックス なんとか勝利
             決勝…群雄会 なんとか勝利
結果、岐阜クラブは3年ぶり2回目の優勝
3年前は無我夢中の優勝。
今年は、少しでも長く試合を続けていたい。ここまできたら優勝。
と、今までと違った勢い?勝って当たり前?違う感じ。たぶん新しくメンバーが固まった中で色々試したい。もう少し続けていたい。
そんな感情がチームを支えてくれて安定した試合が出来たのかなって思います。
地元開催だったことも関係があったと思います。

優勝の余韻に浸っている余裕もなく、監督問題。
県協会へ提出したのが服部(光)の選手兼監督。
それで、監督問題については一段落。

クラブカップ県予選
決勝でチューズディーとフルセットで敗退。
実は選手兼監督として初挑戦。
キャプテンと話をしてトライしたがゲーム運び・選手起用が出来なかった。
選手やりながら監督やるのは難しい。当然だが難しい。苦しんだ大会でした。

その後、国体予選に向けOKAYAと練習試合、東京遠征、松本市役所と練習試合、中津川合宿と2ヶ月色々勉強できなんとかチームを作ることが出来た。
ミニ国体は昨年のリベンジ。相手ではなく自分たちのチームを超える為に…。
選手としても監督としても挑戦。さらに管理人としても…。
本当にこの時期は寝れなくて辛い日々を送りました。監督って大変。重いプレッシャーと戦うことに覚悟を決めて試合に向かいました。

続く

クラブ日誌13

どこまで振り返ればいいのだろう…?
平成18年の兵庫国体5位からクラブ日誌は止まったままで…。写真を見て思い出す。
すでに2年が経過して当時の写真(兵庫国体)から大分国体の写真に行き着くまでにチームが歩んできた道、選手達が奮闘した物語をまとめてみようと思います。