天平10年(738)行基菩薩が、西は赤坂の浜より、東は各務まで七里(28q)の中央にあった孤島、乙津島に着船され、十一面千手観音像を彫り安置されたのが、この寺の始まりと伝えられています。

 弘仁4年(813)、創建開山である弘法大師は、嵯峨天皇の勅命を受け乙津島に着船されました。大師は秘法を尽くし、ひたすら願うこと37日間、法鏡を龍神に向けられますと、たちまち蒼海が桑田となり、大勢の人が集りとても感動しました。この縁によってこの地を鏡島と言うようになり、乙津寺の名称は鎮守乙神(乙津島にいた神の名)に由来します。 
 弘仁5年(814)の春、嵯峨天皇の勅命により、大師は七堂伽藍、塔頭五ヶ寺、鎮守などわずか3年で造営され、自ら弘法大師像を彫られました。大師が御堂の前に‘梅の杖’を植えられまして自ら誓って言われました、「仏法この地に栄えれば、この杖に枝葉が栄えるだろう」と。
 不思議なことにこの梅には、たちまち枝が出て葉がなったので、世間に梅寺と知られるようになったのであります。
 
※鏡島は加賀島とも書く。
「岐阜県地名大辞典」  昭和55年(1975)
弘法大師の自詠の歌。
さしおきし 杖も逆枝て 梅の寺 法もひろまれ 鶯のこえ

当寺に弘法大師42才自作の像あり。日本三躰除厄弘法の一に数えられ参拝者常に多し。
梅寺の‘肖像大師正作’とあり。大師挿木の梅樹あるを以って、俗に梅寺といわれる。
『濃飛両国通史「岐阜県教育会、編。原刊大正12年(1923)1月25日、上巻P767」』
 
 乙津寺(鏡島弘法)は京都の東寺、神奈川県の川崎大師(平間寺、へいけんじ)と並び「日本三躰厄除弘法大師」の一つに数えられます。弘法大師の命日は旧暦の3月21日であり、月命日に当たる毎月21日には縁日会が開かれています。当寺の南を通る中山道は一方通行になり、参道から露天が並びます。参拝者は高年齢者が中心ですが若者も多く、早朝の午前5時から参拝があります。11時には大師堂内で太鼓の音に合わせて大般若の読経があります。
 大正3年(1914)8月25日に十一面千手観音像と毘沙門天像が国宝に指定され、大正14年(1925)4月14日に韋駄天像が国宝に指定されています。また、七福神、十二支ご本尊など、他にも多くの仏像が鎮座しております。

七福神
   瑞甲山 乙津寺(ずいこうざん おっしんじ)。
日本三躰厄除弘法大師。通称、鏡島弘法、梅寺。
〒501-0111 岐阜市鏡島1328 Tel/Fax 058-252-2062
事務所(納経所)年中無休  時間帯 9:00〜17:00

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