エンジェル
1.
「・・・つばさ」
準備運動のつもりだろう、軽いストレッチをしている彼女に、声をかけた。
6月とはいえ、もうすでに陽射しは夏の様相を呈している。
「珪?どうしたの??」
・・・眩しい。見上げた彼女の顔に陽射しが反射して、俺を照らした。
立ち眩むような光景の中、俺と同じ黄色のはちまきがくっきりと映えた。
「・・・いや、リレー、頑張ろうな」
眩しさに面食らって思ったことの半分も言えない間に、クラス対抗リレー出場の選手はゲートに集まるようアナウンスが流れた。
「うん!!」
同じ、種目。
希望も出さないままに、いつのまにか俺の出場種目は決定されていた。
彼女と同じ種目なのは、偶然なのか、必然なのか。
今更そんなことはどうでも良かった。
「行こう?珪?」
「あぁ」
何かが喉の奥でつかえて出てこないようなもどかしい気持ちのまま、つばさと一緒に歩き出した。
「頑張って頑張って走って、珪にバトンを渡すからね。だから珪は私の頑張った気持ちも一緒に抱えて1番でゴールのテープを切ってね♪」
頑張るぞ〜!とこぶしを上に突き出した彼女の笑顔が気持ちを楽させてくれる。
それでもいつも彼女の瞳は真剣で、その瞳に圧倒されながら、俺はその魅力の虜になっている。
本当に、彼女は本気で走って俺にバトンを渡すのだろう。
「じゃあ俺がその前につばさちゃんに俺の愛をこめてバトンを渡すからな!つばさちゃん、ちゃんと抱えて走ってや!」
「あ、姫条くん!頑張ろうね〜」
突如降って湧いた男は、調子に乗ってつばさの手を握ってぶんぶん振っている。
・・・おもしろくない。
呟くように出てきた想いに驚きながら、少し歩調を速めて二人から遠ざかろうとした。
「珪!待ってよ〜」
彼女が気づいて慌てて追いかけてきた。
見透かされているような気持ちになって、自分がひどく子供に思えた。気に入らないことがあるとすぐにふくれて大人の気をひく、子供。
立ち止まって、彼女を振り返る。
小走りで駆け寄ってくる彼女の後ろに、面白そうに俺を見ている姫条を見た。
「頑張ろうね!!」
走り寄ってきた彼女が、俺の手を握ってぶんぶん振った。
「・・・あぁ」
予想していなかったことに多少戸惑いながら、自分の手を握ってつい先ほどのことが夢でないことを確認した。
2.
クラス対抗リレーは、全校1位だった。
スタート直後で最初のランナーが転倒したために、大きく他のクラスから離されていたのだが、徐々に追いつき、姫条とつばさがゴボウ抜きを演じたおかげで、アンカーの俺のところにつばさからバトンが回ってきたときには、すでに1位争いに加わっていたところだった。
「珪!お願い!!」
息が上がった彼女の声と共に、俺の手にバトンが渡ったことは覚えている。
手にバトンを握り締めた瞬間から、俺は真っ白になるほど走った。
走って走って、気づくと白いテープを切っていた。
遠くでわぁぁぁぁぁという歓声が聞こえた。
「珪!すごかったね!!」
つばさの声に振り向いた。
彼女の額に汗がうっすらとにじんできらきらと輝いていた。
「つばさも・・・」と言いかけて、言葉は途中で霧散した。
「つばさちゃん、ごっつ速かったな〜」
言葉は彼女に届く前に、威勢のいい関西弁にかき消された。
「姫条くんが頑張って走ってくれたから、私はすごく楽だったよ!!」
彼女が姫条に笑いかける姿が、見なくても手に取るように頭の中で描けた。
それを確認しないまま、二人に背を向けて歓びにわきかえる人の輪を離れた。
「葉月」
聞きなれたテノールに振り返った。
「なぜ、クラスメートとともに喜ばない?アンカーは君だったのだし、最終的に君が氷室学級を1位に押し上げたというのに。もっと一緒に歓べばいいのではないか?」
「俺がいると、みんなどうしていいか分からないから・・・」
俺の言葉に、目の前の数学教師は少し笑った。
「なるほど。君の言いたいことも何故かしら分かる気がするが・・・だが、そのみんなの輪から離れて君を見ている彼女とくらい、素直に喜んでもいいのではないか?」
輪から離れて・・・?
「氷室学級優勝の功労者でもあるのに、君のことが気にかかるようだ。困らせていないで、行ったらどうだ」
まるで理事長のようなことを言ってしまった・・・と数学教師は呟きながら、俺から離れて輪の方へと向かっていった。
彼が先ほど俺に向かって投げかけた言葉の意味を考えながら、その姿を目で追いかけた。
・・・・・・!!
その先につばさの姿を見て心臓が跳ねたような気がした。
クラスメートが飛び跳ねて歓ぶその輪の上に、6月の眩しい太陽の光が降り注いで・・・パステル画のようなその光景を背に俺を見ているつばさの姿は、俺に天使を思い出させた。
少しだけ悲しそうな、心配そうな、いつもの笑顔とは違うそのつばさの顔に俺は、俺は・・・。
・・・どうしていいかわからない気持ちになって、ゆっくりとつばさの方へと歩き始めた。
満面の笑顔をたたえて、駆け寄ってくる彼女の姿は、両手を広げて俺に舞い降りた天使だと思った。