2004年2月14日

 

 放課後になって、学生たちがそわそわしている。
 廊下や、教室の中のあちらこちらで何やらかわいらしく包装されたものを、女子生徒が男子生徒に渡す風景が見えた。
 あぁ、そうか今日はバレンタインデーと言うものだった。
 緊張している生徒から、明らかに義理だという生徒から、まちまちだ。
 毎年この日は生徒たちの間にふわふわとした空気が流れている。
 期末テストもあと1ヶ月だというのに、非常に、良くない。
 「氷室先生!!」
 彼女だ。
 「なんだ、どうした?」
 軽く息を弾ませながら、駆け寄ってきた彼女は私の前に小さなかわいらしい箱を差し出した。
 先ほども、これによく似たものを見た気がする。
 「先生、これ、バレンタインデーのチョコです」
 ・・・・・・。
 「去年も言ったはずだ。職員室入り口脇のチョコ受付箱に入れなさい」
 ほんの少しため息をついた。
 でもそれは、決して嫌だから…というわけではない。
 何故か、嬉しい気がした。
 でも、ちょっと困ったような、そんな気分だった。
 「先生に、食べて貰いたいんです!」
 彼女の訴えに私の気持ちが傾いた気がした。
 「規則は規則だ」
 不思議な気持ちが膨らむのを感じた。
 「朝、早起きして作ったんです!食べてください!」
 「もらったものは教師に公平に分配される。客人のお茶請けとしても出されることもある」
 「・・・・・・」
 彼女は明らかにがっかりしたようだった。
 いや、そう見えただけかもしれない。
 「期末テストも近い。勉学を怠らないように」
 「・・・はい、失礼します」
 軽く礼をして、彼女が去った。
 彼女は時々私を驚かせる。
 去年も言ったはずだ、同じように。
 それなのに・・・。
 彼女のがっかりした顔を見て、心が痛くなった気がした。
 いや、気のせいだ。


 
 職員室では、早くもチョコレートの甘い香りがした。
 席に戻ると、大きなチョコが2つ。
 先ほど見た、彼女からのものではなかった。
 ・・・・・・。
 周りを見渡す。
 ・・・あった。
 その箱を私の目が捉えた瞬間、私の心が跳ねた気がした。
 「それ」は、隣の机にちょこんと置かれていた。
 「・・・すみません」
 気づいた時には私の口が動いていた。
 「はい?」
 「私に配られたチョコと、その小さな箱のものと、変えてもらえませんか?」
 自分で何を言っているのかよく分からなかった。
 わからないまま、私の机の上に置かれていたチョコを2個とも差し出した。
 「・・・えぇっ?!」
 「私は甘いものが苦手なので・・・」
 「・・・はぁ」
 隣の同僚は多少驚きながらも、それ以上のことは何も聞かなかった。
 少し笑って、小さな箱を私に譲ってくれた。
 「ありがとうございます」
 礼を言って、大切に鞄に入れる。
 「それでは、お先に失礼します」
 なんだか、自分で何をしているのかよくわからず、恥ずかしい気がした。
 こんな、整然としないいつもと違う自分の行動が足早にさせた。
 慌てて、職員室を後にした。

 

 車を飛ばして帰路につく。
 車から伝わるエンジンの振動が、私の心をごまかしているような気がした。
 心臓の鼓動が、早い。
 エンジンと共鳴している気がした。

 

 薄暗い部屋の電気をつけた。
 コートも脱がないまま、机の上に持ち帰った小さな箱を取り出した。
 彼女のクラスと名前が、リボンに括りつけられた紙に書いてあった。
 彼女は、わが氷室学級の誇りだ。
 来月の期末テストでは、前以上にいい成績を残せるはずだ。
 質問しに来る内容も、数学だけではなく他の教科でも密度の濃いものになっている。
 体育の教師も褒めていた。
 彼女の学習態度に満足するものを感じながら、箱のリボンを解いた。
 中から出てきたのは、小さな紙と、手作りだと言ったチョコレート。
 『氷室先生へ いつもありがとうございます』
 チョコレートを一つつまんで口に入れた。
 甘すぎないちょっと苦めのチョコの味が口に広がった。
 満たされたような穏やかな気持ちが心に波を作って広がった。