(運命だ)
瞬間脳裏に浮かんだ言葉。
そしてすぐに、今までであれば一蹴していたはずの言葉を連想した自分に少なからず混乱する。
(コレではまるで理事長ではないか!)
疑う必要などないと解かっているのに、俺はひきつけられるように再び机上の書類に目を落とした。そして、もう一度今年度受け持つクラス名簿の中に彼女の……成瀬の名前が記載されているのを確認する。
学園は先日から春休みに入っているが、職員は通常どおり出勤し新年度の準備を進めることになっている。そのスタートは担任するクラス名簿に目を通すことから始まる。今朝一番に学年主任から手渡されたそのクラス名簿の中に、彼女の名前を見たのはこれで3度目になる。
(……大したことではない)
そうは思うものの、何か因果関係があるように感じるのは気のせいだろうか。まるで誰かが俺を試しているような気さえする。
もちろん、例年そのような生徒は存在する。現に彼女の他にも同じ名簿の中から2名ほど、3年間担任を受け持つことになる生徒がいた。その数に際立った変動はなく、よってこれは一定の確率上発生した状態でしかない。
(しかし……)
なんとも形容することが不可能な、この複雑な気持ちは何だ。
別にどんな生徒を受け持つことになろうと、教師としての仕事を全うすることに変わりない。それゆえ、受け持つ生徒によって一喜一憂することなどない。ない、はずなのだが……
(やはり成瀬となると、そのように処理することは不可能というわけか)
混乱を遮るように机上の書類を所定のファイルに綴じて、再び新学期の準備に取り掛かった。目を通さなければならない書類や、作成が必要な各種の計画などやらなければならない作業は幾らでもある。気をとられている場合ではない。
……10分後。
思考が乱れて思うように仕事が進まないことに困惑しながら、俺は仕方なく席を立った。今は客観的な判断や分析を要するような業務をするのは非効率と判断し、午後からの仕事として予定していた教材の確認を行うため、数学準備室に向かった。
コツコツコツ……
廊下に乾いた足音だけが響く。
普段であれば何かしらのざわめきが途切れることなく続く学園内は、春休みを迎え一定の静寂を保っている。時計を見ると時刻は午前9時を2分ほど経過していた。
(喜ぶべき、なのだろう)
その非日常な様子が俺に彼女のことを考える許可を与えた。俺はそっとため息をつく。
俺は既に己の中で彼女への……好意を認めていた。
それは何度も逡巡し、たどり着いた結論だった。
感情への戸惑いは別として、存在している想いは認めざるを得なかった。なぜなら、あるものをないものとするような、そんな器用な真似など俺にはできないからだ。
(そうである以上、彼女の力になれる立場でいられるのは喜ばしいことなのだろう)
彼女にとって今年は進路を選択する重要な年に当たる。担任教師として近くで見守り、最大限力になってやりたいと思っていたことは事実だ。
……それでも、嬉しさ以外の感情が混じることもまた、事実。
誰もいないことを幸いに、口元に浮かぶ自嘲を抑えることもせず、準備室に続く階段をのぼっていく。
彼女への気持ちを自覚するに至った去年の暮れから、これほど教師と生徒という関係について考えたことはない。
教師と生徒。
強制的に与えられた俺と彼女の関係。
そこには義務と責任があり、それを全うすることが何よりも求められる。俺と彼女は完璧な教師と完璧な生徒であり、非常に満足のいく状態であると言えた。
……が、この関係は時に重く身体にのしかかり苦痛をもたらす。
(完璧な教師と生徒であることを、一体「誰が」求めているというのだ?)
混乱し、迷走する己の感情に振り回されては疲労する。
それでも、少なくともこの関係が続いている間、俺は教師氷室零一であらねばならなかった。そうでなければ学園と、そして、彼女との契約に反することになり、何より俺の一存で彼女の貴重な高校生活を混乱に陥れるような真似はしたくなかった。
(しかし……また俺は、彼女を連れ出してしまう)
教師と生徒。期限付きの関係であることが、彼女と過ごす時間を、交わす言葉を、俺に貪欲に求めさせるのだろうか。
教師としての体裁をギリギリ保っていられる範囲で、俺は彼女を誘い、時間と空間を共有する。擬似的に彼女との距離を縮めてみても、結局教師と生徒の関係でしかないことを思い知らされるにも関わらず、衝動的な行動を繰り返す。
(なんという愚かさだ)
準備室の鍵をあけ中に入ると、薄いカーテン越しに春の穏やかな光が射し込んでいた。くすんだ胸の内にも届くようなやわらかな光に、ふと彼女の顔が想い浮かぶ。
『日当たりがよくっていいですね』
そう口にした彼女に、本や資料の保管に不向きであること、夏場に訪れる高温状態などの弊害を列挙したが、彼女は『でも気持ちいいじゃないですか』そう言って笑った。
無味乾燥に思われるこの狭い部屋の中を、まるで探検でもしているかのように楽しそうに観察していた姿を思い出しながら、暫くの間ふりそそがれる眩しい陽射しに目を細めた。
あの時には理解できなかった彼女の言動が、今なら少しわかる気がする。
(この愚かさを超えたところにいったい何があるのか、見極めるしかない)
彼女が言ったように、太陽の光の効用が感情の乱れを静めてくれたのだろうか。
そんな自分の思考展開に驚きつつも、心地よさを覚えていることに気づき苦笑する。
感情に振り回される自分に呆れ、手におえない混乱に翻弄される自分を愚かに思っても、彼女のそばにいることを望む気持ちは変えられないのだ。
「立ち向かうしかないな……」
自分に言い聞かせるように、誰もいない部屋の中でそう呟く。
今の自分にできることは彼女と自分の気持ちから目を逸らさない、それだけなのだから。
「私がこの学級を担任する。氷室零一だ」
4月5日。新学期が始まった。
教室に漂う新学期特有の緊張感を心地よく感じながら、今年の初志を簡潔に述べていく。
「君たちは今日から第三学年。つまり最上級生だ。今年度は君たちにとって、進むべき道を決定する重要な一年間となる。諸君のなすべきことが何なのか、今一度認識を新たにしてこの一年に望んでもらいたい」
言葉を切り視線をめぐらすと、驚いた表情の成瀬と目が合った。
「この中にはついに3年間、私の受け持ちだったものもあるようだが……」
その表情から察するに、彼女は俺が担任であることに対して想定外だったようだ。
(君はこの状態を不服だとでも思っているのか?)
……自分の表情が険しくなっていることに気づき目を伏せる。まったく、大人気ないとはこのことだ。
気を取り直しつつ、それでも俺のかすかな混乱を彼女に伝えたくなった。
「運命だと思ってあきらめることだ」
視界の端に捉えた彼女の顔がうっすら赤くなったように見えたのは、気のせいだと判断することにしよう。
「光陰矢のごとし。以上だ」
俺と彼女の教師と生徒としての最後の1年が、始まった。
後あがき
初の先生サイド、書いてて楽しかったです。先生と頭の中でいろいろ話せるから!うちの先生は、2年のクリスマスあたりで主人公ちゃんへの気持ちを自覚し、年末に社会見学のお誘いという設定でお願いします。
ちょうど時期的にもタイムリーに書けて嬉しい。2ヶ月以上前に書き始めたんだけど(汗)。文中にもあるように、先生の「運命と思って……」の台詞、意外で、だから萌エました。そ、そんなドラマチックな表現してくれるなんて……それに至るまでの経緯を想像してたらお話ができました。できるだけゲームの先生に近づけたいと思って書いたんですが難しいなあ。ガンバロ。
楽しんでいただければ嬉しいです!