|   江戸時代のころはあちこちで大火事があり、火事が起こるたびに大きな被害がでました。 
       則武村で造り酒屋を営む高橋亦五郎は、焼け出された人を自分の家に住まわせ、自分は仮の小屋を建てて住み、家の人たちにご飯の炊き出しや傷の手当てをさせていました。 
      
       今夜はじんべえの家が火事です! 
      亦五郎は何杯も水を頭からかぶり、燃えている家の中へ飛び込みました。 
      気を失っていたじんべえを抱きかかえて出ると、またすぐ火を消しはじめました。 
      それを見ていた若者も亦五郎の指図にしたがいながら、火を消し止めました。 
       亦五郎の「火消しの力で、則武を火事から守ろうやないか」という呼びかけから、若者たちは亦五郎の家に集まり打ち合わせをしました。 
      火消しの纏や衣装、道具などをそろえ、正式に火消し組みが結成されました。亦五郎が『とび頭』となり、則武にちなんで『のノ字組』と名づけました。 
       素早い行動、むだのない作業、火の中へ平気で飛び込む勇気。このめざましいはたらきぶりのうわさは、近郷近在にひろがっていきました。 
      
      代官屋敷近くの商家から出火した火事も『のノ字組』の活躍で代官屋敷は無事でしたこの見事な活躍は天子さまのお耳に達し、『菊花御紋章付纏』まで、いただきました。 
     
      この纏は今も則武公民館にかざってあります。 
       
      ‥詳しくは『岐阜のつたえ話−岐阜市教育文化振興事業団』をご覧下さい‥  |