〔名前の由来〕
守口大根は、江戸時代、河内国守口(現在の大阪府守口市)附近で栽培されていた。長さ1m以上にもなる特殊の大根が前身とされている。
天正13年(1585年)豊臣秀吉が守口に休息した際その風味を賞讃し、土地の名前を取って守口大根と命名されたと言われている。
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〔則武地区が栽培に適している理由〕
明治時代になると関西の守口地区の栽培が衰退し、岐阜・愛知地区の生産が増加した。則武・正木地区は長良川分流の肥沃な砂が堆積してできた扇状地として、根長1mを超える守口大根の栽培に適している。
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〔播種と収穫〕
播種時期 9月初旬 〜 下旬
収穫期 12月初旬 〜 下旬 |
〔栽培上の工夫〕
守口大根は1m以上の長さに成長するので播く場所を1.5m程掘り起こして、三角形の畦を作る。株間は近年細い大根が好まれているという消費者ニーズに合わせて調整している。また、病害虫を防ぐため、寒冷紗(かんれいしゃ)で覆う。
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〔契約栽培〕
「岐阜・愛知守口大根生産連絡協議会」で生産者、加工業者が価格と注文量を決定する。
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〔漬物の加工法〕
塩漬 → 下積 → 1回目味付け →
2回目味付け → 3回目味付け → 仕上漬
酒粕に味醂粕、砂糖を加え、漬物業者独自の味を作り上げていく |
〔生産状況〕
産地 |
面積 |
栽培農家 |
生産者 |
則武 |
3.5ha |
11戸 |
105t |
鷺山 |
2.0ha |
6戸 |
56t |
扶桑町(愛知) |
10.0ha |
21戸 |
340t |
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〔川島町で栽培する理由〕
- 則武は都市化により、風通し、日当たりが悪くなり、水はけも悪くなったため、品質面で問題がある。
- 川島町の方が砂が粗く、作業が楽である。
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〔今後の展望と問題点〕
- 不況による贈答品の大幅減。
- 高級贈答品イメージから脱して、大衆食品化が必要
- 若者が粕漬を嫌う傾向があり、新しい加工法の開発が必要「一夜漬」「サワー漬」
- 特殊技術の伝承、後継者問題
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