★「雑学パーク」Q285〜Q286を掲載しました。
★新緑が眩しい季節になって来ました。今月下旬開催の中学同窓会の会費を抑えるため、このHP内に記念写真をダウンロードできる鍵付き「私の倉庫」を設置しました。当初は苦労しましたが、設置方法は意外と簡単でした。楽しかったです。
チヨットひとこと(2024年5月5日)
山県・椎倉地域活性推進協議会

岐阜県山県市
椎倉(シグラ)の紹介
あなたは番目のお客様です。
















このホームページは勉強中(テスト)です。

*椎倉観音(弘誓寺)

《 歴 史 》

 今から570年程前の室町時代、この椎倉の地は大桑(おおが)郷の1部として、美濃の守護職土岐家の領地となり、時代の波の渦中にあった。当弘誓寺は文安2年(1445)8代目の守護土岐成頼によって、芦敷村(現岐阜市安食)より当地に移されたと伝えられる。成頼は、応仁1年(1467)兵8000騎をひきつれて、応仁の乱に参加しているが、その中にこの地出身の武将も多数いたに違いない。この観音堂には、今も成頼像が安置され参拝者が絶えない。しかし天文10年(1541)、11代目守護土岐頼芸の時代、大桑城攻防戦で斉藤道三の兵火により当寺も焼失した。現在のものは、江戸時代の慶安2年(1649)妙心寺沙門月庭和尚により再建されたものである。旧観音堂跡は現在地より北西の山腹にある。

《 文 化 財 》

承応2年(1653)の銘ある蛸形香炉・室町期のねはん図・観音菩薩像





* 牛 臥 神 社 *



  《 歴 史 》

  今から1100年程前のこと、平安時代のはじめ延喜年間(901〜921)位を譲り法皇となられた宇多天皇は、養老へ行幸された。その後法皇は、池田・本巣・方県をお通りになり、山県市はいられ鳥羽・深瀬・御鉾・手神[てがみ](現在の椎倉)を経て武儀郡の野村(現在の宇多院)へ向かわれたという。そのおり、近くの里人集まりて、今の宇多坂を開き奉る。しかし、この坂にて法皇の御車の牛が倒れ伏して立たず、里人がかわりの牛を貢ぎて、坂を越えさせ給うたという。後に里人、倒れ臥したる牛の鞍をご神体として、法皇とそのお后をお祭りし、牛臥神社として深く敬い今日に至っている。その後手神の地を人々は牛鞍の庄(うしくらのしょう)と呼んでいたが、いつの頃からか椎蔵(椎倉)と言うようになったという。また、現在この神社の近くに、神社の由緒にまつわる、貢ぎ・倒臥(こくご)・樫森(かしもり)などの地名が残っていたが土地改良で消滅したものもある。

  《 文 化 財 》 

  弘安2年(1279)の棟札等・天明5年(1795)の銘のある石燈籠




岐阜レトロミユージアム


 椎倉区内で開館しています。軽食も販売されています。バブル時代に日々進化した、ゲーム機、自販機等の懐かしくホッとするものが展示されています。実際に稼働しているものがあります。
昭和の懐かしいパチンコ台の遊びが人気です。
最後の写真は、国道256号線を挟んだ農道から撮影しています。

開館日・時間
金曜日〜月曜日 10:00〜17:00
(但し 火、水、木曜日が祭日の場合も開館)です。
《ゴールデンウイーク、シルバーウイーク、夏休等などの連休中は開館していることがあります。)

入館料
中学生以上:1,000円(1時間券) 2,500円(3時間券) 3,500円(1日券)
小学生   : 700円(1時間券) 1,300円(3時間券) 2,500円(1日券)
園児(4〜6才) 500円(1時間券) 1,000円(3時間券) 1,000円(1日券)


       入館券販売機




ミニ・モネの池(仮称)


椎倉観音の途中の山の中腹にある池です。色は違いますが太鼓橋です。睡蓮もあるのかないのか。






日本秘密大日奠の石碑


安政7年(1860年)に建立された石碑が、山の頂に立っています。
<漢字がなく、とさせていただきます。)





椎倉古道(仮称)






江戸時代に作られた道路で、椎倉〜谷口間約2km程の山越えです。途中に「馬の水飲み場」があり、馬車が往来した跡があります。水に押し流させて道幅が狭くなったり、木立が生えていたりしているところがありますが、徒歩で頂上まで楽に行くことができます。(頂上に前出の「日本秘密大日」の石碑があります。)軽自動車のタイヤ跡が途中まであります。道の両側は、杉、ヒノキの林でさわやかな空気を満喫できます。森林浴最高!!(最後の写真は、上の左上りが古道で、下が古道への入り口の現在の農道です。石組の石は、古道と同じなので、同時期に作られたと思われます。)





椎倉アジサイ園(仮称)


椎倉観音の参拝道から右手に外れた所、自動車道路の横にあります。いろいろな花の色が咲きます。6月が見ごろでしょうか