中山道には69の宿駅があり、加納宿は52番鵜沼宿から16.8Km、次の54番河渡宿まで
5.9Kmの間にある53番目の宿場です。本陣は桜通り2丁目にあり、加納西校区の本町8丁
目と9丁目の境界、現在の秋葉神社付近には西の番所があったと伝えられています。
 加納地区は昭和20年7月9日夜の岐阜空襲でB−29による焼夷弾爆撃を受け、中山道沿
いの住宅もほとんど跡形もなく焼失しました。
 現存するものは戦災後、町内の交差点に祀られた火の神様「秋葉神社」と加納宿西番所跡
の碑ぐらいでしょうか。
Nakasendo
至 鵜沼宿
至 河渡宿
 1600年関が原の戦いののち、徳川家康は岐阜城を廃し、加納城の築城を命じた。初代城主は家康の長女亀姫の夫、奥平信昌です。
 加納城本丸跡は昭和58年に国の史跡に指定され、現在では芝生の公園として親しまれています。

園内満開の桜2013.4.5
芝生の広場
二の丸北面の「野面積み」
9丁目
8丁目
7丁目
6丁目
西
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中山道