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織田塚 |
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織田信長の父・信秀は美濃を手に入れようと、斎藤道
三の支配していた稲葉城を攻めたが、道三の戦術には
まっていずれも失敗した。そのときの死者をとむらった
場所であるる。
織田塚伝 |
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岐阜中央郵便局 |
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昭和55年に現在の岐阜市役所南庁舎から移転
した。県内唯一の中央郵便局である。 |
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溝旗神社(もと天王社) |
昔からテンノウサマ、「テンノボウ」といわれ親しまれ
てきた。祭神はインドの神である牛頭天王(こずてんの
う)であり、病気をふせぐといわれる。牛頭天王はスサ
ノオノミコトと同一神とされ村の災厄をミコトが防いだと
いう伝説がある。夏病みしないようにとの願いから、
現在も「ちょうちんまつり」が盛大に催されている。 |
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神社とおしゃごじに隣接する
駒爪保育所
子どもたちが運動会の練習をしてました |

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おしゃごじ・二福神 |
稲荷神社に隣接して立っている大木の地を「おしゃご
じ」jという。神宮司とか尺護司とかの文字をあてている
が、悪霊が村中にはいるのを防ぐ願いであるといわれ
る。二福神は恵比寿天・大黒天をいい、商売繁栄を願った。 |
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白山神社の跡(石碑) |
高森神社が鎮座し、白山権現がまつられていたの
で、白山神社といわれていた。この場所に明治j42年、
白山尋常小学校が建設され神社は溝旗神社に合祀
された。学校正門の北側に「白山神社跡」の碑があり
校庭の数ある大木にはその当時の面影が残っている。
町名の白山町は白山神社、高森町は高森社に由来 |

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ふれあいの館白山 |
平成3年にオープンした高齢者の為の総合的な福祉
施設。白山デイサービスセンター、シルバーセンター、
高齢者専用住宅等の業務をしている。
この敷地は、地元岐阜市乾繭倉庫の用地であった。 |
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梅林中学校 |
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昭和22年、新制中学校が発足し岐阜市立第二中学
校として開校した。校舎は梅林小の西にあったが、昭和43年、岐阜市立薬科大学の跡地である現在地に移転した
薬科大は昭和6年に、岐阜市立薬学専門学校として創立された。当時は他見にはなかった施設で、「薬専」といわれて岐阜市民の誇りとされていた。 |
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校庭の「わたの木」 |
戦前から校庭にあるわたの木。学名はオオガヤナギ
だが、初夏に白いわたのような毛がついて白く見える
ので「わたの木」と親しまれてきた。岐阜空襲で幹がさ
けたが、よみがえって今も葉を茂らせている。
木の強い生命力は学校のシンボルとなっている。
焼け焦げた樹皮と、岐阜空襲のようすを伝える資料が
本館二階の「わたの木ひろば」に展示してある。
ひろばには、昔の道具や学校90年の資料等が展示
されている。
水曜日の午後には市民に一般公開しているので、
ぜひ参観してほしい
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