あっちゃんは困っていた。
 さてはて、如何なる弁舌をもってすればかの邪知暴虐なる両の親様を説得せしめるであろうかと困っていた。
 あっちゃんには我が家の財政がわからぬ。あっちゃんは、親元を離れて仕送りで生活する大学生である。学校ではお勉強をし、あとは友達と遊び倒して暮して来た。けれどもお財布のさみしさに対しては、人一倍に敏感であった。
 人はモヤシと水のみにて生きるに非ず、なのである。

「お父さまお母さま、なにとぞカワイイ娘の仕送りを増やして頂けませんか」
『おお娘よ可愛い娘よ、そなたには十分な仕送りを送っているだろう。増額はできないぞ』
「ですがお父さまお母さま、貴方がたのキュートな娘は今まさにひもじさの余りティッシュを甘いものとして消費している有様なのです。せめてあと二万……いや五万ほど」
『おお娘よキュートな娘よ、我等は知っているぞ。そなたがスマホゲームに仕送りをつぎ込んでいる事を』
「なん……だと……?」

 あっちゃんは戦慄した。
 何故使い込みがバレれしまっているのかと大変に恐れおののいた。消費大好きな人々のお助け貴方の町の金融屋さん、あるいはやさしいサラ金のおじちゃんからはまだお金は借りていない。ということは身の回りに誰か密告者が……いる!

『ちなみにカズくん情報だ』
「おのれカズめ」

 裏切り者は幼馴染みの腐れ縁であった。なんということでしょう。
 あっちゃんは憤慨した。信じていた古くからの友人、性別を超越したズッ友のこの上なき裏切りに哀切の意を表明したい気持ちでいっぱいだった。でも具体的な恨み言を漏らすと仕送りに影響が出そうなので慎んだ。あっちゃんはとても聡明なのである。

『健全な生活は健全な財政から。
 金が欲しくば汗水たらして働くがいい。もし懲りずに電話してくるようならば』
「ようならば」
『仕送りそのものを打ち切る。貴様は二度と我が家の敷居をまたげぬと思え』
「サーセンっした」

 あっちゃんは超困った。
 邪知暴虐の両親は分からず屋であったので、あっちゃんは学生の身の上ながら労働して糧を得ねばならなくなった。あっちゃんにはバイトの作法など分からぬ。
 あっちゃんは、叶う事ならひがな一日ぐーたらゲームしたりスマホで動画みたり同好の士と騒いで遊び暮らしたい完全消費者タイプのインドアである。金は欲しいがどうせなら生きているだけで百億円通帳に振り込まれて欲しいと真剣に考える人種である。
 ああお金。お金よお金、どうして自然に通帳へ振り込まれてはくれないの?
 悲しみにくれるあっちゃんは、SNSで不特定多数の友人に向けて問うてみる事にした。

『楽して金を稼ぎたいんだがいい方法なーい?』
『働け』
『クソニートwww』
『親の脛でもシャブってろ』
『ハロワ行け』
『腎臓売ってこい』

 心温まるメッセージが次々と返される。あっちゃんは良い友達に恵まれていた。
 しかし楽して金を稼ぐのに良い方法は、残念ながら誰も提案してはくれない。あっちゃんの友人達は善良だが普通の人ばかりだったので、あっちゃんが理想とするような楽で痛い思いも辛い思いもせず自動的に通帳残高が加算されていくような方法を教えてはくれなかったし、あとついでに苦難に見舞われるかわいそうなあっちゃんの通帳に御慈悲で入金もしてくれなかった。とても残念な事である。

「ここはいま流行りのパパ活だろうか……」

 あっちゃんは真剣に考えた。
 なお、パパ活とはお財布ATMになってくれそうな親切で心優しく経済力のある殿方をハンティングして貢いでもらう、接客業と肉体労働の合いの子である。サービス精神も忍耐力も無いあっちゃんには難しいお仕事なのだが、あっちゃんはお仕事をとても舐めてかかっているのですごく真剣に考えた。考えて止めた。
 あっちゃんは楽して稼ぎたいのであって、まず獲物の選別から始めなければならないパパ活は面倒臭い気持ちの方が勝ったのである。腎臓を売る単発アルバイトを考えなくもなかったけれど、そもそも信頼できる買取業者を知らなかったので諦める事にした。
 業者さんを選ばないと片方だけじゃなく両方パクられてしかもお金も貰えない事を、あっちゃんは賢いのでよく知っていたのだ。

「楽して稼げる仕事楽して稼げる仕事……」

 口寂しさからティッシュをしゃぶしゃぶしながら、あっちゃんは一生懸命考えた。
 一生懸命考えながら、広大なSNSの海を彷徨い面白画像に爆笑し、拡散希望情報はパクリでないかチェックしてからリツイートをし、悲しい出来事には共に涙し時に憤慨し、連載おっかけてる作品の最新作について同士達と激論を交わし時に抱擁し合い時に慰め合い時に解釈違いで深刻に心を抉る暴言でもって殴り合いたまに不心得者のジャンル荒らしを集団で小突き回して晒し者にし合間に学生の義務を果たし、そして主に回復した行動力でソシャゲした。
 そんな日々を送っていたあっちゃんに、天啓は前触れなく舞い降りた。

「そうだ、空気を売ろう!」

 神の託宣が如きその閃きは、あっちゃんのおめめに希望に満ち溢れた星を生んだ。
 うっかりその場に居合わせてしまった長年来の友人にして幼馴染みであるカズくんのおめめはと言えば、まあ控え目に表現しても馬と鹿をフュージョンさせた生物を見るそれだった。

「あっちゃん大丈夫か? 頭の病院行く?」
「ひどいなあカズ、友達をまるでイカレ頭みたいに言うなんて」
「そのものズバリじゃねーか」

 親切なカズのド直球オブラート皆無なアドバイスをスルーして、あっちゃんは「それよりカズ、協力してくれないかな!」と興奮気味に話題を切り替えた。カズの発言が辛辣な時があるのに慣れているあっちゃんは、カズ限定でとても心が広いのである。
なんだかんだで長い付き合いの二人である。カズは「なんだよ」と嫌そうな顔をしながらも律儀に問い返した。

「あのねあのね! すごいの! すごい名案なの!」
「うんうん知能レベル上げて喋ってな?」
「おっと感動が尾を引きすぎたね失敬失敬。あのねカズ。私、空気を売ろうと思うんだ」
「マジで言ってんの?」
「断言するよ、これはいい商売になる!」
「そりゃ原価ゼロだしな」
「そんな事はないよ。詰める為の容器分とか広告宣伝費とかデザイン料とか、それにやっぱり実働時間分の人件費は費用換算すべきだもん!
 商品のいわゆる仕入原価だけで販売を語るのは知性が足りない人間の所業、まったくもって労働というものを理解していないクソ底辺消費者様思考以外の何物でもないよ!」
「あっちゃん販売側に立ったこと産まれてこの方一度もないよな?」
「何言ってるのカズ。これから立つんだよ」
「やべえこいつ本気だ」

 あっちゃんのほとばしる熱いパッションを、ようやくカズも実感してくれたようであった。
 さすがはカズ、とあっちゃんはご満悦顔でうんうんと頷く。この阿吽の呼吸。これこそが共同経営者としてやっていくために必要なものであるのだ。
 しかしてカズは残念なことに固定観念にガッツリめで囚われし者なので、あっちゃんはカズにこの世の真理を説いてやらねばならないのである。これも知性ある者の務め、ノブレス・オブリージュというやつだろう。
 あっちゃんは慈悲の心も忘れないレディー(今年で二十歳)なのである。

「まあ聞き給えよカズ。
 何もこのあっちゃん、思い付きだけで物を言っている訳ではないのだよ」
「お前わりと衝動とその場のノリで生き……いやいい、今更だな。聞くだけは聞いてやろう。ほら言ってみろ」
「ふっふっふ。カズも知ってるでしょ? マイナスイオン」
「そりゃまあ」
「ゲルマニウム」
「……それも知っちゃあいるが」
「EM菌」
「……うん。……うん?」
「水素水」
「……待て。待て待て待て? お前まさか、要するに――
「人間ってプラシーボとかでもほんとに効果あったりする程度にはいい加減だし、いけるよね!」
「詐欺じゃねーかよ!!」
「詐欺じゃないよちょっとそれっぽい文句付けてラべリングして売りに出すだけだもん!
 だいじょうぶだいじょうぶ、世の中には本気の本気で水素パウダーとか水素サプリメントとかに高値出しちゃう人間もいるんだから、それっぽい文章とパッケージさえあれば絶対買ってく人が一定数は存在する!」
「そりゃ買う人間はいるだろうけどお前それ詐欺以外の何物でもねーだろーが!
 良心どこやったんだよそんな商売してお天道様に顔向けて歩けんのかよ天罰下るぞ!?」
「需要と供給を一致させるだけだよ? カズってば心配性だなあ、当然お天道様の下を歩けるように先例に倣うに決まってるじゃん! よく考えて? 誰もブタ箱には行ってないでしょ? 偽科学はね、犯罪じゃないんだよ。ただのカビとか苔の生えそうな怪しさ抜群の古臭い民間療法を、新しい形でパッケージングしているだけなんだよ。
 科学とかあんまりよく分かってないけど分かってる風を装いたい知性の低い連中からちょっとお金を分けてもらって互いにハッピーになる、そういう素敵な商売なんだよ」
「お前みたいなやつがいるから偽科学がはびこるし、まっとうな科学者が頭抱えてくっそ困らされてんだよなぁ……!」

 やれやれ、カズはまったくもって頭のお固い事である。
 柔軟かつフレキシブルに現代社会へ対応する、できるレディー(今年で二十歳)のあっちゃんにはちょっとばかり共感し難い。
 だがしかし、いかに頑迷で無知蒙昧な子羊であろうとも、それがカズである以上、教え導いてやるのがあっちゃんの務め。あっちゃんは優しい顔で立ち上がる。
 そう。あっちゃんは既に見抜いているのだ。カズを諭し、前向きに協力して行こうとさせるのに必要なのは――その曇った眼を開眼せしめてやる事なのだと!

「金銭を求める事は、果たして悪徳だろうか!」
「ちょ」
「私は言おう。それは違う、と!
 悪徳とは、金銭を求めるその思いでも、行いでもない!
 それが悪徳であるのだと言うなら、何故世界に通貨なるものが存在するのか!?
 お金が欲しい! それは誰しもが考える事だ!
 では、お金がたくさん欲しいと願うのも、悪だろうか? 違う!!」
「待て。待てってあっちゃん」
「私は清貧を良い事だとは思わない。それは貧乏人を納得させる為にある、富める者の方便だ! 綺麗事だ! お金が無ければ家に住めない服も買えない、人によってはごはんにさえ事欠く! だからこそ私は! お金を! できるだけたくさん欲しいと思っている!!」
「ねえあの待ってくださいマジでお願い聞いて」
「しかし! お金を稼ぐため。
 それだけに時間を使い尽くして、本当にそれで良いのだろうか!?
 人はパンと水のみにあって生きるにあらず! お金を稼ぎ、食べ、寝て、そして稼ぐ!
 それだけの暮らしが、娯楽なんて一切ないただ生きる為だけの営みが人間らしい生活といえるのか! そんな生活に、果たして生きている意味があるのか! それでは多少文明的になっただけで、動物と大差ないのではないだろうか!
 そんな生き方で、霊長類たる人間が満足して、本当に良いのか!!」
「やめてねえほんとここ学食なの! 思い止まって!」
「ゆえに私は思うのだ! そして主張する! 楽して金を、稼ぎたいと!」
「みんな見てる! 見てるから! マジで黙って!」

 あっちゃんは腰にすがりついてくるカズを見下ろした。
 カズもあっちゃんを見上げた。

「虚業はまさに、その代表例と言っていい! 楽して金を稼ぎたい! 可能な限り大金を稼ぎたい! どうしてそれが非難されるのか? 誰もが思う事だろう。求めて止まない事だろう! 非難される理由などただ一つだ! 嫉妬!! それ以外の何物でもない!」
「ちょっと期待させて裏切んのやめて!?」
「私は断言する! 法に触れない限り、どのような職業であろうと尊ばれるに値すると!
 法が許している以上、嫉妬した者、新たなルールに適応できない老害共がどれだけ囀ろうとも、虚業は立派なビジネスなのである!
 それと同様に! 法で規制されていない以上、どれだけ根拠がなかろうとも、どう考えても論理的積み上げが無い嘘八百で構成されていようとも!
 信じる者は救われる! 迷信で心安らげる人々がこの世に存在するのだから!
 偽科学もまた、一つのビジネスの形として認められてしかるべきではないだろうか!」
「それ以上は止めろぉおおおおおおお!」

 本格的にカズがなりふり構わなくたってきたので、あっちゃんはしぶしぶプチ演説会を取りやめる事にした。遠巻きながら聴衆もいたというのに、あと拍手まで頂戴したというのにまったくもって残念な事である。啓蒙もまた知性ある者の務めだというのに。
 仕方あるまい。あっちゃんはいったん引く事にした。
 説得方法は、何も言語だけとは限らないのだ。言葉で分かり合えない以上、別手段へとチェンジするのは当然の戦略。何事を成すにも、手順は大事なのである。


 ■  ■  ■


「というわけで会社作ったよ!」
「なにしてんの?」
「共同経営者にカズの名前も入れといたからね!」
「なにしてくれてんの?」
「さあ一緒に空気を売ろう! 私は優しいからね、取り分は平等にはんぶんこだよ!!」
「うわっ販売サイト既に立ち上げてやがるこいつ」
「ふっふっふ。このあっちゃんがあれだけ話して逃がすと本気で思ったか?」
「チクショウ退路断ってきやが……いや待て、そうだ商品! さすがのお前でも商品はまだ用意できてないだろ! 生産ラインは確保できてない、そのはずだ!」
「ふっふっふ。このあっちゃんにそんな手抜かりがあると思うか?」
「なっ……段ボール十箱とか、おまえ、生活スペース大幅に削りまくってまで在庫を……!?」
「ふーははははは! 推定お客様のニーズに売る前から答えてゆく、それこそができる経営者というもの! ちなみに生産ラインは親切な町工場出の同級生が申し出て提供してくれました! こないだの演説聞いてて感銘受けてくれたんだって! うれしいね!!」
「そんな……俺が、俺があのとき演説を止め切れていなかったせいで、むざむざ犠牲者を出してしまうなんて……! 俺は……なんて無力なんだ……っ!」
「貸出料はロマン溢れる売り上げ四割だよ!
 さぁカズ、親切な工場長に報いる利益を上げるためにも、これからじゃんじゃん売りまくってたっくさん稼ごうね!!」
「いっそ殺せ」


 ■  ■  ■


 めちゃくちゃ売れた。


 ■  ■  ■


「こんなの絶対おかしいだろ!?」
「やだなあカズ、これが現実というものだよ」

 商売が鼻歌スキップるんるんらーなレベルで儲かっているのに何故か頭を抱えるカズを尻目に、あっちゃんはお高いアイスを優雅に食しながらガチャを回す。
 ご覧ください、あんなにも手が届かずに泣いていたキャラクターも、今は毎月上限までマネーで殴って手に入れられるようになったんですよ!
 もちろんSNSでドヤ顔しながら報告する事も忘れてはいけない。
 こころまずしい貧民共の嫉妬と恨みのコメントは女を美しく磨き、あっちゃんの優越感にいつだって瑞々しい潤いをもたらすのである。かくして日本経済は回っていくのだ。あっちゃんは経営者としても消費者としても有能であった。
 お金は使ってこそ意味がある。リピートアフターミー。

「ていうか、なんでほんと俺を巻き込んだんだよ……別にお前一人で良かったよな?」
「うーん」

 素直に答えるべきか否か、あっちゃんはちょっと迷った。
 あっちゃんは賢いので、素直に言ったらたぶん怒るだろうなあというのは普通に想定余裕なのだ。ではなんと答えるべきか? あっちゃんは数秒ほど真剣に考えて、そっとカズのおててを握った。じ、と気持ち上目遣いに見上げてそこはかとなくムーディーな可愛さを演出するのも忘れない。あっちゃんは演技派(自称)なのだ。

「カズと、一緒が良かったから……。ダメ、だった?」
「……。上手に本音を吐けたら、あっちゃんが大好きなりんごさんのカードを進呈してやろう」
「わぁいりんごさんのカード! あっちゃんりんごさんのカードだいすきぃ!!」
「よーしよしよしがっつくなよーご褒美は後だぞー。で、本音は?」
「人手が欲しかったのと仕送り使い込みについてうちの両親にチクった件の意趣返しだよ!
 あとリスクヘッジ的観点から一人より二人の方がなんかあった時安心だなあって思ったので巻き込んでおくことにしました!
 カズは絶対見捨ててかないもんね! 地獄に落ちる時は一緒だよ!」
「はははこやつめ」
「あだだだだだだだだだ! 暴力に訴えるとは卑怯なりぃいいいいい!?」
「ははははははは」
「ひぎぃいいいやぁあああああああ!」

 あっちゃんは乙女にあるまじき悲鳴を上げてのたうち回った。
 カズは時々文明人とは思えない、大変野蛮な手段に訴える事があるのをあっちゃんはうっかりすっかり忘れていたのである。
 繊細無垢でか弱いレディー(今年で二十歳)になんという仕打ち。あっちゃんは憤慨した。でも邪知暴虐の化身となったカズを鎮まり給えーするいい方法は思い付かなかったので、可哀想なあっちゃんはカズ大魔神が満足するまで虐げられる羽目になった。
 弱者は強者に翻弄されるしかないというのか!
 あっちゃんは世界の不条理に心からいかった。だがりんごさんのカードをもらえたので許した。
 あっちゃんはとても心が広いのである。
 マネーイズパワー。おかねには……かてないんだよ……。

「おかねといえば!」
「うおっ復活した」
「カズってば稼いだお金なんで自分に使ってないの? 募金にばっか回してるよね」
「いや……だって詐欺で稼いだお金とか、なんかヤだろ……」
「やだなあもう。カズだってしつこいくらい確認したから分かってるでしょ?
 法律には引っ掛かってないから犯罪には該当してないって。それなのにいつまでも詐欺だ詐欺だって人聞きの悪い事を」
「そうだな、なんで犯罪には該当しないんだろうな。ほんと世の中狂ってるよな」
「おかしいのはカズだよ?」

 現実は現実だから現実なのである。
 カズの頑固さときたら、さながら目の前にある箱に詰めた猫が生きているだろうかいや死んでいるかも知れないと議論し出す哲学者が如しであった。これにはさすがのあっちゃんも匙を全力投球である。
 そもそも出荷作業とか普通に手伝ってる時点で色々手遅れだと思うのだが。
 ちなみにあっちゃんは議論する前に箱をオープンする派である。そのような議論に使う時間の方が無駄無駄ァでは?

「昔の人も言ってるじゃん。地獄の沙汰も金次第!
 それにさ、おまわりさんに捕まっちゃったとしても保釈金積んで反省してる感出しとけば多少の罪はお目溢ししてもらえるのが社会ってものなんだから、もっとゆるーくいっていいと思うんだよね?」
「かみさまおねがい大洪水もっかいやって……?
 ひとのこの邪悪さをこのソドムとゴモラ上回ってく文明もろとも押し流して……」
「その神様もうしないよって約束してるから無駄じゃないかな!」
「じゃあ流れ星にお願いしゅる……」

 懺悔のポーズからまるまるダンゴムシ体勢に移行したカズをつんつくしながら、あっちゃんは仕方ないなあと溜息をついた。
 カズはよく分からないところで謎に夢見がちかつナイーヴである。
 オトコってのはいつまでたっても、いくつになってもボーヤなのよ、とご近所でバーを経営しているアズサさん(御年六十四)も言っていたので、たぶん男性特有のなんかアレな感じなんだろう。
 あっちゃんは気遣いの出来る優しい子なので、カズの前にそっと双眼鏡をお供えしておく事にした。幾多のコンサートをあっちゃんと共に乗り越えてきた有能な双眼鏡さんなので、たぶんきっと流れ星もおそらくよく見えるんじゃないかなあ。
 あっちゃんもちょっとお星さまは守備範囲外だった。

「それにしても最近なんだか注文数増えてるなー」
「……」
「むーん。知名度が上がるのはいいけど、商品用意がおっつかないのはまずいなぁ」
「……」
「でも商品準備でこれ以上遊ぶ時間減らすのもヤだし」
「……」
「だけど用意すればした分だけ売れる今の流れはまさにビッグウエーブ……」
「……」
「ノればノっただけ大儲けでウッハウハ間違いなし。これこそが売り時というもの」
「……」
「よし! ここはいっぱつバイト募集で事業拡大! 目指せ空気御殿だー!!」
「雑な三段論法で被害拡大しようとしてんじゃねーよっ!?」

 復活したカズが「それを本気でするんなら俺を殺して乗り越えてゆけ」とわりとガチな目で血迷いだしたので、あっちゃんはしぶしぶながら空気御殿を諦めた。
 共同経営者の感情論をくんで売り時フィーバーを見送るとか、まったくもってあっちゃんは思いやりの化身である。目先のりんごさんカードに釣られた訳ではないのだ。断じてない。


 ■  ■  ■


 空気は売れた。はちゃめちゃに売れた。売れすぎるくらい売れまくった。
 あっちゃんの見込んだ通り、世はまさに空気一大フィーバー、売り時最盛期まっさかりであった。その売れっぷりたるや、ちょっとなんでこんな売れてるのかよく分かんないですね! とカズみたいなタイプの人々がチベットスナギツネ顔でレイプ目になるレベルだった。
 ちょっとよく分かんないですね本当。
 インターネット界隈を中心に、いろんな人々が面白可笑しい愉快な特集やレビューをせっせと書き綴り、この商機を逃してなるめぇとばかりに空気売りの同業者さん達がわっさらわっさと発生し、そして現実でも空気を求めた人々が空気難民となったり、そんな空気難民さん達をカモにすべく、空気を転売する勤勉な売り子さん達までもがわっさらわっさと発生した。
 世はまさに、大空気時代……! となりつつある群雄割拠のまっただ中、しかし先陣切った空気売り第一人者のはずのあっちゃんは、せっかく獲得した金払いのよいステキなお客様方をひとり、またひとりともっとお安くもっとたくさんもっと便利に手に入る空気の方へと放流していた。顧客を奪われたとも言う。
 商売とはかくも厳しく、険しき道であるものだなぁとあっちゃんはカズを物理的にステイさせながらしみじみ噛み締める。
 梱包のみならず拘束にもご利用頂けますとかガムテープさんほんと優秀すぎでは?

「あっちゃんあっちゃん、何故に俺はガムテ巻きにされにゃならんのでしょうね」
「それはね、カズが工場長に激おこぷんすかぴーだったからだよ」
「あっちゃんあっちゃん、それは果たして俺をガムテ巻きにする理由になるんでしょうかね」
「それはね、カズは工場長が同業の皆さん方に、空気売りの内実をゲロって儲けてるのに気付いてしまったからだよ」
「あっちゃんあっちゃん、その程度の小遣い稼ぎでなら俺は怒らないと思うんですがどうでしょうかね。一服盛ってまでガチ拘束する必要性はないのではありませんかね」
「それはね、カズがそれだけのみならず、工場長は転売屋さんと繋がって商品を内緒で横流ししてる事も知ってしまったからだよ」
「……あっちゃんあっちゃん、俺がそういう裏切りが嫌いだって知ってるな?」
「それはね、まあ当然知っているよね?」

 ガムテープの素敵な蓑で全身ファッショナブル前衛風味に仕上がったカズは、不気味なくらいさわやかな笑顔であっちゃんを見上げた。
 あっちゃんは神妙なおかおでカズを見下ろし、そっと首を横に振る。

「でもあっちゃんガソリンとか改造エアガンとか持ち出すの、だいぶどうかと思うんだ」
「ほどけぇえええええええええ!
 こんな裏切りが! ゆるされて! なる! もの! かっ!
 あのヤロウごめんなさいとゆるしてくださいしか言えねえようになるまで●●●●●●って●●●●●●●って●●●●●●●ってやらぁ!!」
「ステイステイ」

 とても文字にはできそうもない下品オブ下品な罵声を吐き散らかしてキレ転がるカズを雑に宥めながら、あっちゃんはやれやれとアメリカーンなオーバーさで肩を竦めた。
 HAHAHA、こいつぁ当分解放できそうもねぇぜ!
 でもこの状態で落ち着くまで転がしておくのも危険である。あっちゃんは自分のハウスがトイレになるのも、かといって蓑カズ虫のおトイレサポーターをするのもノーセンキューだった。
 でもお外へリリースしてしめやかに尊厳喪失させるのはさすがにひとでなしの所行かなぁとは思わないでもなかったので、あっちゃんは粛々とカズのクールダウンに取り掛かった。
 最初から穏便にクールダウンさせとけって? キレ散らかす成人男性とか、いたいけでか弱いあっちゃんがだまし討ちしないで押さえ込めるはずがないよね! 搦め手は基本。

「まぁまぁカズ。ここはひとつ、ちょっとDVD鑑賞でもして気分を落ち着かせたまへよ」
「裏切り者めぇ……楽に死ねると思うんじゃねぇぞ……情報漏洩だって本来なら産業スパイとして東京湾に沈めるところを見逃してやっていればつけ上がりやがって……おのれよりにもよって転売屋風情と……かくなる上は一族郎党●●●●って●●●……」
「はいはいどうどう。あっちゃん特別編集のDVDだからカズもきっと気に入るよ!」

あっちゃんは速やかにDVDを再生した。ポチッとな。
てれれれてってってーん♪ と耳馴染みの良い軽妙な音楽と共に、映像が流れ出す。

『それではここで、最近話題沸騰中! 缶入り空気、エア・エアーのご紹介を致しましょう!』
「ピギッ」
「おお、カズの目が速攻で死んだ」
『このエア・エアー! 代表的な効果として有名なのは、やはり清浄な空気を吸うことによるストレス軽減効果・リラックス効果。ですが何より特筆すべき効果は、ぎゅぎゅっと濃縮された空気を吸うことによる、脂肪燃焼効果の促進と言って良いでしょう!』
『脂肪燃焼効果の促進、ですか! それは女性にとって大変魅力的ですね!』
「ふぉー、カズの怒りオーラが静まってゆく……」
『ダイエットといえば、やっぱり脂肪の燃焼は最重要課題!
 脂肪を効率よく燃焼させるということは、そのまま痩せやすい身体をつくるという事ですからね。つ・ま・り! このエア・エアーを利用すれば、ダイエットの効果を高め、痩せやすい身体も手に入っちゃうって寸法なんですよ!』
『ええ、すごーい! このエア・エアーを利用するだけで、ダイエットできて、痩せやすい身体にもなれちゃうんですか!?』
「あっ苦しみ始めた。身をよじって苦しみ始めた」
『使い方もすっごーく簡単! ななな、なーんと! この缶入り空気を、運動前と運動後にしゅしゅっとひと吸いする、それだけ! ね、手軽でしょう?』
『ええ、すごーい!
 でもそんな簡単だと、本当に効果があるのかちょーっと心配になってきません?』
「む、カズの目に希望の光が!」
『その心配、分かります。こんな簡単でいいのかしら? って、不安になっちゃいますよね。そこで、そんな画面の前のアナタに! 具体的にどんな効果があるのか? 本当にひと吸いでいいのか? そんな疑問にお答えしていきましょう!』

 あっちゃん特別編集DVDの効果は絶大だったようで、カズの視線もハートも完全にDVDへと釘付けとなった。ついに瞬きゼロで画面を食い入るようにガン見し始めたカズの姿を眺めながら、あっちゃんはいい仕事したぜ! と天井に向かって静かに両の拳を突き上げる。

 ひとつの脅威が!
 (カズの)人としての尊厳とついでに見知った顔の命の危機が!
 いま、こうして去ろうとしている……!

 あっちゃんはやりきった感でいっぱいだった。
 息をするように善行を積むとか、これはまさに聖人君子の所行ですね間違いない。

 ぴんぽーん♪

 なんということでしょう。あまりにも行いが良いからあっちゃんを祝福するかの如き合格音がナイスタイミングで鳴り響く!
 ――訳ではなく、ただの来客だった。ガッデム。

「はーあーい、どちらさまぶしっ!」

 来客のお出迎えをするあっちゃんの目を、来客のゴージャスきんきらな輝きが襲う!
 あっちゃんはおめめを押さえてのたうち回った。びくんびくん。

「ふっ……この程度のゴージャスフラッシュで目を焼かれるとは、我が師は随分と貧相な暮らしで堕落なされたようだ」
「くっ……その声は工場長……!」

 そう。
 さながら舞台衣装のようなスパンコール金ラメぴかぴかスーツを身に纏い、後ろの筋肉むきむき黒スーツさん達にレフ板を持たせてまさにスポットライトを総身に浴びるが如きその人こそが――あっちゃんの教えに感化され、共に空気を売る同士となったはずの工場長であった。
 よろよろと立ち上がったあっちゃんは、ふっとニヒルに(本人主観)笑って道を空け。

「いらっしゃいませ! レフ板は邪魔になるから置いていってあがってね!」
「ふっ、上がらせて頂きましょう。こらお前達! ちゃんとレフ板は住人の通行の邪魔にならないよう隅に寄せるんだ! そう、靴もきっちり揃えて! あ、これ手土産ですどうぞ」
「わーいこがねいろのお菓子ー! おいしそう! ありがとー!」


 ■  ■  ■


 狭いアパートの一室で、あっちゃんと工場長は向かい合って着席した。
 あっちゃんの後ろにはびったんびったんびたたったんと騒がしくのたうち荒ぶるカズ蓑ガムテープ虫さん。
 工場長の後ろには筋肉もりもりムキムキ黒服ゴリマッチョのレフ板持ち職人さん兼ボディガードさん(役職推定)が二名。
 何故かボディガードさん達はカズ蓑ワームさんが気になるようでちらっちらガン見していたが、特にコメントを発する様子も無かったのであっちゃんはスルーする事にした。
 不躾な視線も慈悲深く寛容に受け流す。
 これこそまさに持てる者の貫禄、ブルー・ブラッドの施しであった。
 なおあっちゃんは由緒正しき平民そして遡れば日本国最大多数派閥・お百姓様の貴きお血筋である。食料こそ命を繋ぐ原初の財産であるので、みんなもっと第一次産業に敬意を払って、どうぞ。

「師匠。今日訪ねたのは他でもない。事業を……いえ、会社を譲ってもらいに来ました」
「そっかー」

 あっちゃんの出した粗茶(出涸らし)に申し訳程度に手をつけると、きりっと無駄にキメ顔で、工場長が単刀直入に本題を切り出す。
 背後で荒ぶりを増すダンシング蓑虫カズのびったんびたたん音をBGMに、あっちゃんはぱりぱり茶請けのおせんべいを囓りながら顔だけ真面目に頷いた。ぱりぱり。

「師匠の始めたビジネス、素晴らしいと思っています。貴方には先見の明がある。ニーズが何処にあるのかをよく理解しているし、何よりその行動は電光石火。まさにタイフーンようなブームを巻き起こしながらも、泰然と己を見失う事が無い」
「はんはん」
「空気を売る……僕にはとても真似できない。いや、思い付きもしない視点でした。よしんば思い付けたとしても、きっと本当に売り出そうとはしなかったでしょう。
 しかし、師匠は違う。僕のハートをキャッチする熱い演説、そして頑固な親父をまでころころ望み通りに転がして工場の機材を借りる許可をゲットする弁舌、面白半分に販売サイトを訪れた人々を見事にキャッチしてお買い上げさせてあまつさえリピーターにまでしてしまう文才!」
「ひんひん」
「パーフェクツッ! 僕は、僕はですね師匠! 貴方に夢をもらいました。一攫千金、うっはうっは大儲け! 不景気なこの世にあって己の才覚でがっぽがぽの左うちわ生活! あっこれ欲しいな☆ と思った服や鞄、車を我慢せず際限なくお買い上げする、そんな欲望に素直で忠実になれる生活! そんな極彩色の夢を! 貴方は僕にくれました!!」
「ふんふん」
「貴方に出会わなければきっと、僕は今でもそこらにいるような、ごく普通の男子大学生だったでしょう。ちょっと工場を持っている親がいるだけの、将来工場を継ぐか否かそれが問題だとぐるぐる考えている、そんな思い悩むアンニュイ男子大学生だった事でしょう!
 師匠、貴方はそんな僕に進むべきルートを示してくれた! こうやってお金はゲットするものなのだと具体例まで含めて明示してくれた!
 誰も彼もが自分で考えろ、自分で決めろ、自分でやれと言ってくる中、さながら迷える子羊達を導く善き羊飼いのように! 僕を! 何にも考えなくてもお金がめっちゃ稼げるやり方へと導いてくれた!」
「へんへん」

 パッション溢れる工場長のお言葉に、カズ蓑虫のびたーんびたーんべちべち音BGMはいつの間にかストップしていた。
 ボディガードさん達は分かりやすく思考停止した、澱み切ったおめめをしていた。
 死んだおさかなさんの方がまだ綺麗な目をしているレベルである。こいつぁひでーや。
 あっちゃんは適当感溢れる相槌を打ちながら、おせんべいをぱりぱりしていた。ぱりぱりぱりぱりおせんべおいしい。

「ですが師匠……!
 貴方は変わってしまった、それも悪い方へと!! 以前の貴方なら必ずや予期し、ノりにノれたはずの一大エアービックウェーブをみすみす見過ごし! 他人の尻馬に乗って二番煎じ三番煎じを狙うしか脳のないハイエナ、有象無象な業者共に利益を奪われる事を許した!」

 ばーん! と勢い余って叩かれたテーブルの上でコップが揺れる。ぐらぐら。
 あっちゃんはお口をもごもごさせながら、粛々と二袋目のおせんべいパック(徳用)を開封した。カロリーは正義。

「かつてはあんなにも純粋に、真摯に金儲けと向き合っていたっていうのに……!
 だからボカァね、思うんですよ! 師匠、いや貴方にこのビジネスをする資格はもはや無いのだ、と! 楽してお金を儲けたい。その理念を腐らせ、堕落させてしまった貴方にこの空気売り業界を発展させ、トップランナーとしてウハウハ儲ける事は既に不可能!
 だから僕が、この僕が!
 貴方の空気売り会社を継ぎ! 更なる高みへ! 至らせてみせる!!」
「ほーん」

 びしぃ、と指をあっちゃんに突きつけ、立ち上がって多分かっこいいだろうポーズで渾身のドヤ顔を披露する工場長を見上げながら、あっちゃんはずずずーとお茶(出涸らし)を啜った。 立っている工場長と座っているあっちゃんは、たっぷり数十秒無言で見つめ合い。

「……お茶、おかわりいる?」
「お構いなく! 僕はNOと言えるジャパニーズですからね!」
「それは良いことだねー」
 うんうんと頷きながら、あっちゃんは自分の分だけおかわりを注ぐ。
 出涸らしなのでもはやお茶というより水だったが、あっちゃんは特に気にしなかった。ちょっとフレーバー残ってる気がするしいけるいける。

「それでねー、会社だけど」
「はい師匠! 言っておきますけどイエスかはいしか聞きませんよ! 両脇の筋肉ガーディアンが見えるでしょう! ボカァやる時はやるボーイですよ!」
「あげていいよ?」
「ふっ、やはり貴方もしょせんその程度!
 儲けられなくなったといえど、俗物らしく金銭への執着は隠せませんね! さあそのあがきが無駄だという事を分からせて――うん? なんだお前達横からつついて。今いいとこ、何。今OKした? 師匠はっきりいいよって言ったって?」
「それで工場長、ちゃんと書類用意してきた?」
「なんの罠ですか師匠!? 騙そうったってそうはいきませんよ!!」
「えー」

 我が身をかき抱き筋肉ガード二名を盾にしながらキシャアアアアアアア! と威嚇してくる工場長に、あっちゃんは解せぬという顔で困惑した。人様のご厚意を素直に額面そのまま受け取れないとは、まったくもって手間のかかる工場長である。

「工場長、工場長や」
「くっなんですか師匠! 甘言を弄して騙そうったってそうはいきませんよ!」
「まぁいいから聞いていくのです。
 私はね、君の言った通り……自分の限界に、気付いたのですよ……」
「! 僕の、言った、とおり……?」
「そう、君の言った通り。私は堕落してしまった。今や、かつてのようにガッポガッポうはうは大儲けしてやろうという意欲を失い、まぁそれなりに儲かればいいやーという安楽な守り思考に入ってしまった……それがいけない事なのだと、うすうす感じながらも……」
「師匠……」
「けれど、今日君が訪ねてきてくれて決心がついたんだ。人は、フレッシュな野心無くしては向上しない。君の、先ほどの演説……とても素晴らしかった。目が覚める思いだったよ」
「師匠……!」
「君は野心に溢れ、向上心がある。行動力もあって、他の誰とも比較しようがない、まさに経済の中心となれるポテンシャルを持っていると、私は期待している。
 ……それに。最初からここまで、共に空気売りをしてきた仲間だからね。君ならばきっと、私と同じ。いいや、それ以上にこの商売を盛り立て、いつか世界にも羽ばたくものと信じているんだ」
「し、師匠……そこまで僕の事を……!」
「誰でもいい訳じゃない。君だからこそ。君にしか、託せないんだ。
 頼まれてくれるかな、工場長。空気売り業界の、今後を」
「お任せください師匠! この僕が、不詳工場長が必ずや、貴方の始めた空気売りをワールドワイドなビッグビジネスに成長させてみせましょう!!」

 工場長のおめめは希望に満ち溢れた星を生んだ。
 悲しくもその場に居続けるしかなかったボディガードさん達とカズの目はしめやかに死んだ。ご冥福をお祈り申し上げます。

「うんうん、工場長が分かってくれて安心したよ! じゃあ書類だそっか?」
「はい師匠こちらになります!」

 さっと出された書類にぽんぽんぺーんとサイン捺印を済ませ、譲渡はスムーズに完了した。
 意気揚々と去っていく工場長と、本当にこれで良かったのだろうか……我々は何か重大な間違いを犯してはいないか? だいじょうぶ? 転職先探す? という深刻な悩みを抱いた顔をしたボディガードさん達を見送りながら、ようやくガムテープ拘束と、追加でかまされた猿ぐつわから解き放たれたカズが微妙な表情であっちゃんに問う。

「……本当に良かったのか? あいつに全部くれてやって」
「んー」

 わりとシリアスめなカズの言葉に、あっちゃんは意味もなく天井を見上げる。
 思い返せば、短くも怒濤の空気売りな日々だったものだ。
 デザインをわりと直感で決めたあの日。なんとなく語呂だけで決めた商品名。案外作るのが楽しかった販売サイトに、手続きが実はちょっぴりめんどかった会社設立手続き。日曜工作感溢れる商品量産に、生産ラインを丸投げした時の開放感。お客様からもらった感謝のコメントに腹筋崩壊した思い出。
 何より、初めて売り上げをゲットした時と、そのお金を全部ガチャに溶かしてゴミしか出なかった絶望。膝を折り涙しながら、次こそは必ず! と誓ったあの日の夕暮れ。
 いまや、何もかもが懐かしい。あっちゃんは力なく微笑んだ。カズはあからさまにうさんくせぇなぁという警戒と疑念の滲んだジト目であっちゃんを見た。

「……あのね? 実はさ、すごく悲しい出来事が起きてね」
「かなしいできごと」
「うん。――あっちゃん、ソシャゲ飽きた」

 いっそ儚さすら漂わせる微笑みで放たれた言葉に、カズはスンッと表情を消した。とても虚無い。部屋の中に、形容しがたい沈黙が落ちる。
 遠くでカラスがアホーと鳴いた。

「……ああうん、うん。そっかぁ、飽きたのかぁ……」

 重苦しい。
 それはそれは重苦しい息を吐き出しながら、疲れ切って世に倦んだ老人さながらの声音で、カズが唸るように言葉を紡ぐ。

「うん。めちゃくちゃはまってたんだけどね、最近シナリオの出来もいまいち心に響かないしキャラ解釈違い発生しちゃったしイベントもつまんない周回作業ばっかさせてくるし、そんなの続いてなんかもう、お金つぎ込むのバカバカしいなーって」
「そうだなー……それはかなしいことだなー……でもできればもうちょっと早く、カズくんそれこそ商売始める前くらいに気付いて欲しかったなー……」
「あの頃は面白さ最高潮だったんだよー。だからさ、お金稼ぐのしばらくいいかなって。また欲しくなったらまたてきとーに新商売起こして荒稼ぎすればいいもんね!」
「あっちゃんあっちゃん、それは世の中の真面目に働いてまっとうに金銭を得ている人々に対して真剣に謝るべき発言だったと、俺はとっても思います」
「なんで?」
「なんという曇りなき目」

 法が許している以上、それは合法。正しき行いなのである。
 あっちゃんの心には一点の迷いも、一筋の疑念も存在していなかった。
 全ては法が許したもうた商売ですので。つまり空気売りも法が許したもうた商売ですので。
 合法であるのだから、いったい何を恥じることがあるだろうか。世の中には水素水を白い粉に変換して稼いだり、EM菌を行政に導入してもらってウッハウハという流れも存在するのである。それらに比べればあっちゃんの起こした空気売り業なぞ、ちょっと時代の流れに乗れただけの吹けば飛ぶニッチ産業に過ぎまい。
 あっちゃんは真面目な顔を作ってカズを見た。きりり。

「あのね、カズ。カズはもっと自分の心に正直に、素直な欲求を吐き出すべきだと思うんだ。お金を欲しいと思うのは悪いことじゃないでしょ? お金を稼ぐのだって、悪いことじゃない。需要があるから商売は成り立つんだよ。それを供給してお金を稼ぐのは、別にいけないことじゃないでしょ?」
「歩み寄りやすい共通認識部分で同意を得てそっから突き崩してこうったってそうはいかねーからな? 俺とあっちゃんの付き合い年数言ってみろ? さっきの今で工場長と同じ手が通じると思うなよ? ん?」
「あだだだだだだだギブ! ギブギブ! 待ってカズあっちゃんの頭蓋が! 頭蓋がみしみしゆってる! 中身もれちゃう! お味噌もれちゃうから!」
「……長い付き合いだからなんやかや大目に見てきたが、いっぺんカチ割った方が世のため人のためになるのかも知れんなぁ……」
「人間の頭はいっぺんでも割れたら元に戻らないよぉおおおお!?」
「ははははは馬鹿だなあっちゃん、それくらい知ってるに決まってんだろ?」
「おまわりさんこのカズです!!」
「ははははははははは」
「あーっいけませんいけません! あっちゃんの関節はそんな動きできません!
 待ってカズ話し合おう! 暴力に訴えるとか非文明的だし内輪で始末をつけようという発想自体あっちゃんとても良くない文化だと思うんだ! そういう事は弁護士を通しあだだだだだだ!!」
「はっはっは。どうせ法はあっちゃんを裁かないからな――なので俺が裁きます」
「ほぎゃぁああああああああああああああッ!?」

 あっちゃんは断末魔の絶叫を上げた。
 最大の敵というのは、いつだって身内なのである。合掌。


 ■  ■  ■


 あっちゃんは悩んでいた。
 必ずや、かの学生に立ちはだかる最大最悪にして最後の難敵、就活を倒さねばならぬと悩んでいた。あっちゃんには未だ、まっとうにこつこつ働いて日々の糧を得るという感覚がぶっちゃけまったくよく飲み込めぬ。かつて一度なりとも起業し荒稼ぎしてウハウハした成功体験を持つあっちゃんにとって、お金とは遊びの傍ら盛大に稼ぐものであって真面目に地道に働いて稼ぐものではないのである。
 駄目人間と評して差し支えない感性であった。後遺症乙。

「やっぱりここは起業だろうか……」
「……言っとくが、内容次第じゃ鉄拳制裁入れるからな?」
「はいはい! あっちゃんは文明人として、暴力ではなく言語による対話を推奨する次第であります! 暴力反対! ラブ&ピースだよカズ! 安易な暴力よくない!」
「あっちゃんに倫理観さえ備わっていれば、俺も暴力なんぞに訴えずとも話し合いだけで終わらせられるんだがなぁ……」
「なんという言いぐさ」

 まるであっちゃんが倫理観ゼロみたいな口振りである。
 あっちゃんはたいへんに憤慨した。立てば(自称)芍薬歩けば(自称)牡丹、歩く姿は(自称)百合の花。一を聞いて十を知り、捏造した百で千を丸め込む三枚舌と褒め称えられ賞賛を浴びる才色兼備あっちゃんが、倫理観程度を備えていないというその言説。
 たとえカズ相手でも許せぬというものであった。

「カズ、それは誤解だよ」
「ほぉ」

 きりりとした顔で向き直るあっちゃんに、カズは何故かとても胡乱な顔をした。
 カズはもっと真摯にあっちゃんの言葉を拝聴するべきである。

「倫理っていうのはね、社会生活上守るべきとされる道理のこと。善悪や正邪の判断をする上で基準となる観念の事を指し示すんだ」
「そうだな。で?」
「うん。それでね? 今言った通り、倫理観って社会で決められた共通の道理を示すでしょ? だからさ、その判定基準になるのは属する社会で明文化されたルール、つまり法律とか規則になってくるんだ」
「……つまり?」
「不肖ながらこのあっちゃん! 人の道に背いた事、外道と称されそうな行いをしていたとしても、一度たりとて法律とか規則とかは破った試しがないので、倫理観ナシとか言われるのは納得いかないです! 名誉毀損だ! 訂正を要求するー!」
「くそやかましいわ!? つーか非難されるような事やらかしてる自覚はあんのかよ!」
「たまによく知らない人からそういう方向性で難癖付けられるからね! でもちゃんとルールは守ってる覚えしかないから、たぶん妬み嫉みからくる中傷だとは思ってるよ!」
「なにそれ初耳!」
「ふーははは! このあっちゃんが身にかかる火の粉程度、払えぬ女だとでも思ったか?」
「思ってないけどお前気分次第じゃ踏み潰したり吊し上げたりするだろ!」
「殴りにきて万倍返しされないと思う方がおかしくない?」

 昔の人も言っている。撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、と。
 難癖因縁言いがかり誹謗中傷、そういうのが弱者側の泣き寝入りで終わっていた時代などとっくに過ぎ去っているのだ。ちなみにあっちゃんは録音した罵詈雑言ログを再生かけながら、本人にこれ編集して放送室から全校放送されるのと匿名掲示板に晒し上げされるのどっちが好き? と聞いてあげる程度な優しさの持ち主であった。まったくもって慈悲深い事である。
 百人が聞けば百人は同意するだろうあっちゃんの言葉に、しかしカズは疲れた様子で顔を覆うとそのまま床に突っ伏した。ごめん寝のポーズ。

「もうやだ……ホントもうやだ……なんでそうお前はゴーイングマイウエイなの……もっと世間様の目と俺の胃を気遣って……?」
「えー。でもさ、カズの胃ってなんにもしなくても荒れてくよね?」
「そういう奴だよお前は」
「げせぬ」

 ぐったりげっそりしながらのたまうカズに、あっちゃんは思わず渋面になった。
 心の底からとっても解せない。あっちゃん、これでもわりとカズの無駄に繊細でナイーヴなメンタルは思いやっているのである。気遣いが伝わってないって悲しいね。
 カズは深々とため息をつくと、むっくりと顔を上げてしかめっ面をして見せる。

「あのな。この際だから言わせてもらうが、工場長に空気売り業全投げしたものだいぶどうかと思ってるからな?」
「そなの? カズってばさんざん空気売りに文句言ってたし、工場長にあげちゃったのにも異論ないものだと思ってたんだけど」
「それなぁ。あいつのおかげで事業処分が楽にできたってのは確かなんだが、あっちゃん印の偽科学を葬り去れなかったってとこがどうにも心に引っかかってな……」
「もー、カズってば気にしいだなぁ。ああいうのは放っとくのが一番だよ?
 何でもそうだけど、何かの裏付けを取るっていうのはハイコストな作業だもん。流行りが廃れて忘れ去られちゃうまで放置しとく方がよっぽど楽ちんだし、面倒もないと思うなー」
「それ分かっててやるとかお前さては悪魔かなんか?」
「えへへ。悪魔みたいに頭がいいなんて、そんな褒められるとあっちゃん照れちゃう!」

 大人とは面と向かって賞賛される事が少ない、そういう定めを背負った悲しい生き物なのである。遺憾ながら、それはパーフェクト完全無欠おりこうさんなあっちゃんであってもまた同じ事だった。褒められて嬉しくない人間はそうそういないものだ。もっと気軽に褒めてくれて良いのよ!
 あっちゃんはご満悦だった。カズのおめめは何故か濁った。でろでろ。

「言葉って……難しいもんだなぁ……」
「なあにカズ、誰かになんか誤解されたの?
 カズは口下手だからね、言葉より物とか行動で示した方が早いかも知れないね!
 あっそういえばね、工場長のとこさ、新工場が完成したらしいよ! なんかお祝いにお酒でも贈ろうかなって思ってるんだけどカズはどう思う? お酒よりお菓子の方がいいかなぁ」
「お前まだ付き合いあったのかよ」
「ないよ? でも噂とか話はよく聞くからさ。まだまだ設備も人も増やす予定なんだって。すごいよね!」

 事業拡大されれば雇用が増え、雇用が増えればそれだけの労働者さん達の生活が保障され、生活の保障がされれば安心してお金もあちこちで使え、あちこちで使われたお金はその地で営まれる他のお仕事にも流れ、かくて人間社会は潤い活性化するのである。
 これぞ社会貢献(完全板)。素晴らしい、パーフェクト。
 引き継いだ事業が大変好調のようで、あっちゃんとしても鼻が高いというものであった。真実のみにて飯は食えぬ。いやぁ幸福の連鎖だね! 誰も損してなければいいもんね! すごさがフルマックスだね!

「……俺の知ってる話じゃ、わりとクソな仕事振りだって聞くけどな。賃金やっすいし昔からいる従業員蔑ろにしてるし、ついでに安全対策も怠ってるってもっぱらの噂」
「あー。そういえば最近は空気売りって詐欺じゃねーか金返せ! って人も出てきてるらしいよ。大変だね」
「他人事か」
「うーん。そうだね、他人事だね!」

 あっちゃんは燦めく笑顔でぐ! と親指を立てて見せた。
 その辺りのトラブルは、やっぱり現在進行形でお金を稼いでいる空気売りさん達が対処すべき領分だろう。とっくに引退したあっちゃんが口を挟むものではない。
 老兵は死なず、ただ去るのみよ……!
 立つ鳥跡を濁しまくりであった。知らんぷい。
 カズがため息混じりに天井を仰いで、大げさに嘆く。

「地上に悪が栄えすぎている……!」
「法が許しているならそれは正しき行いです。ほらほらごらんよ工場長のおうちの工場を。
 まるであっちゃんの正しさを象徴するかのごとしだよ!」

 実は工場長、新工場をあっちゃんちからよく見える場所におっ建てたのである。
 おかげさまで繁栄加減が自宅の窓からお手軽にご鑑賞いただけますという寸法だった。
 見て下さい師匠、こんなに儲かってますよ! という工場長の得意げな笑顔と生き生きした幻聴が青空にいい思い出風味で浮かび上がるようだ。まっこと麗しい師弟愛と言えるだろう。まぁ事業引き継いで以降寄り付きもしてないんですけどね!
 苦虫をダース単位で噛み潰したような顔をしているカズに向かって、あっちゃんは工場のよく見える窓辺をバックにドヤ顔で胸を張ってみせて。


 ――ドォオオオオオオオオン!


 突如として鳴り響いた爆音に、そのままのポーズで固まった。

「……」
「……」

 あっちゃんは無言だった。カズも無言だった。
 無言で見つめ合う二人。窓の外からは明らかな異常を知らせる喧噪、誰かの怒鳴り声に泣き声、そして何か大きなものが崩れていく音。断続的な悲鳴が、複数の声音で上がる。
 何が起きたのかは、改めて確認するまでもなく明白だった。
 ぼそり、とカズが呟く。

「……正しさの象徴、爆発したな?」

 だらだら脂汗を流しながら、あっちゃんはそっとカーテンを閉めた。
 そうしてマネキン人形さながらのにっこり笑顔のまま、そっと明後日を向いて一言。

「く、空気売りは悪くないし……」
「よーし分かったそこへ直れ」
「だってええええええ! 安全対策ちゃんとしてなかった工場長のせいじゃん!
 空気売りわるいおしごとじゃないもん! 工場長がいけないんだー! 空気無実!!」
「うるせーよ馬鹿野郎! 元凶らしくいいから黙ってそこに直れ!!」
「ひぎゃぁああああああ!!」

 ちなみに工場爆発だが、幸運にも死者や負傷者の類は出ず、ただ工場側に多大な負債を背負わせる結果となったそうな。
 工場の機材類ってめちゃくちゃやばいお値段するから仕方ないね。
 大変、帳簿の黒字がマッハで赤く!

 かくして悪は滅びた。

 だがしかし人よ、忘れてはいけない。
 この世に偽科学のある限り、いずれ第二第三のクソ詐欺事業が――

「あっ閃いた! 次は適当に捏造したマナーで啓蒙セミナーとかどうだろ!?」
「お前は! いい加減に! 懲りろぉおおお!」


 悪徳の種は尽きずとも、かねて世は事もなし。



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