五日前。証言された月の位置から推察するに、およそ午前一時から二時のこと。
 周囲に見えるのは広がる海。天然の岩場と、そこに黒いシルエットになってそびえ立つ、灯りの無い灯台。ルリリ達がねぐらとしていたのは、ずいぶん昔に使われなくなった、ナギサの古い灯台にほど近い場所のようだった。

(「妙に騒々しい夜だったって、物音に敏感なひとたちが言ってた」「吾それ知らんのじゃ」「寝てたからではないですかね。それよりルリリ、続きを思い描くです」「りょーいかいじゃ!」)

 唐突に、辺り一帯へ落雷のような轟音が轟く。
 すぐ近くだ。大きな音と衝撃に、飛び上がって目を覚ました。

『テキシューじゃー!?』

 あちこちで、同じように驚いたポケモン達が目を覚ます。
 騒然となった場に、灯台の破片らしき大きな石がばらばらと振ってくる。
 とにかくこの場から離れようと、慌てたポケモン達が我先にと海へ飛び込んでいく。ざぷん! ルリリもまた、大きく跳ねてごったがえす海中へと身を投じて――行く手を遮った網目が、彼等をまとめて海の中から引きずり出した。

(「これ! これみんながんばってのに、全然破けなかったじゃ! たまに引っかかるアミと全然違ったのじゃ!」「対ポケモン用の網だったみたい。切り裂こうとしてもハサミが通じなくって、きっつい電撃で気絶させられたってシザリガーが怒ってた」「その強度となると、簡単に用意できるものでもないですね。……プロの犯行ですか」「うん、証言を総合するとそこは確定。灯台については自分達もニュースで見たね」「ああ。そういえばやってたですね、ナギサの〝いのりの灯台〟が半壊したって」「誰かとのバトルによる余波か、他に何か目的があって半壊させたかは分からないけどね。で、ルリリ。続き続き」「うむ!」)

『おーっほっほっほっほ! いましたわねぇ、本当に!』

 甲高いニンゲンの女の声と共に、激しい戦闘の音がはるか上から降ってくる。網に捕まった仲間達を、するすると上から落ちてきたフック付きの太い縄が、順々に引き上げていく。
 いつも通りの空が一部分割れて、ぱかりと開いた口――ニンゲンの建物の中、その奥のどこかへと、連れて行こうとする。

(「髪の毛がリボンみたいにくるくるってした女だったって。それで、なんだけど。どうもそのニンゲンと戦ってたの、マーシャドーっぽいんだよね……」「これなー。吾は見れなかったのじゃよなー」「夜で、混乱の最中だったのです。全て見ていた、とはいかないでしょう。しかし、マーシャドーですか……」「証言から推察しただけで、確定ではないけどね。当たりだったとしても、今は本題じゃ無いし、棚上げでいいだろ。で、続きなんだけど」)

――さ、せ、る、かぁあああああっ!』

 怒りを乗せた、年若い少女の声。
 ホトリだ! ぱっと喜びが過ぎり、群れをなしたキャモメ達が一斉に 〝しろいきり〟を発生させる。
 ぶつん、とあちこちで音がした。網と一緒に、大きな口が遠ざかる。どぼぉおおおん! 複数の水音がほぼ同時に上がり、視界いっぱいを暗く透き通った水が占めた。
 水中を漂うメノクラゲのような網から、皆でわたわたともがき、脱出する。

『グレート、そこのキッズでゲス!』

分厚い水を隔てた向こうで、焦りも露わに誰かが叫んだ。

(「ん。……この特徴的な喋り方、サイコメトリした連中が取引した相手なのですね。それに〝グレート〟と言えば、確か国際指名手配犯の――」「うん、ポケモンハンターグループ幹部の通称。偶然の一致じゃあないだろうね」「ラチナに来ていたですか……」「悪いやつらなのじゃ! すっごくすっごく悪いやつらなのじゃー!」「そうだね。ルリリが言う通り、すっごく悪いやつらだ」「うむ! それでな、えーっと……」)

『それより〝鈴〟を追いなさい!』

海上に浮かび上がる寸前。甲高い女の声が、鋭く命じた。

(「鈴? 何かしらの隠語なのですかね」「すずって何なのじゃ?」「丸くて小さくてキレイな音がするものだよ。ちょっと形が違う事もある」「かいがらで作った鈴なんかもあるですよ。……これについても棚上げしておくです。遮ってしまったですね。ルリリ、続きを」「そうじゃな! それでの、確か――」)

『このうすのろ! さっさとおし!』

 細長い縄がしなるような、何か肉を叩く音。

『グォオオ!』

 低く太い男の吠え声が嬉しそうに応え、空を飛ぶはがねのマンタインに乗って、黒い影を追って行く。
 空を見上げれば、閉まる口からキャモメ達が慌てて逃げ去っていくところだった。
 ホトリらしき影が、閉まる寸前の口に滑り込む。
 後には何の変哲もない夜空が、不気味なほどにいつも通り、広がっているだけだった。

 ぷつん。
 テレパシーで共有していた回想のイメージが途切れる。
 ルリリがふんす、と鼻を鳴らした。

「で、吾はこの一大事にキャモメの手を借り、マシロをたずねたとゆーことじゃ!」

 ふゆふゆふよふよ。
 違法な建て増しによって他のビル群を飲み込んでいった結果、ビルの中にビルがある、という野放図な状態に至った小さな〝街〟。
 ゴートシティ旧市街。一際の広大さを誇る、通称〝六卵砦りくらんとりで〟にて。
 上へ下へ右へ左へ。方向感覚を惑わせてくる傾斜のついた分岐と行き止まりの無駄に多い通路を進みながら、メタングが「で、この後あった事なんだけど」と続ける。

「ハンター達を相手取ってたラグラージが、黒い輪っかを引っ掛けられておかしくなったらしい」
「黒い輪っか?」
「こう、輪投げみたいに首に輪っかが引っ掛かった途端、黒い光を出してキュッて締まったとか何とか。なんにせよ、尋常な様子じゃなかったってさ」
「……首が締まったせい、というだけでも無さそうですか。対峙する時には警戒した方が良いのですね」
「だね。〝ホトリ〟もやばいと思ったみたい。すぐラグラージを引っ込めて、〝けむりだま〟の煙幕に乗じて姿を消したって。ハンター達のあの乗り物、ステルス機能付きの飛空艇みたいだったから、たぶん内部に潜伏して期を伺ってたんじゃないかと思うんだけど……」
「……手持ちのシャワーズがあの状態だった。なら、どこかのタイミングで捕まったですね」

 短くて一日、長くて五日、といったところか。
 相手が犯罪集団であることを考えれば、救出は早ければ早いほど望ましい。
 ポケモン達を浚った理由は業腹だが、金のためだろう。だからこそポケモン達は売られるだけで済んだ。〝ホトリ〟の手持ちであるシャワーズもだ。残る手持ちのラグラージとゴルダックも、そういう意味では安心だが、問題はニンゲンの〝ホトリ〟である。ニンゲンは集団で群れると、残酷性が高まりやすい生き物だ――犯罪者は往々にして倫理観が薄い。そうして何事においても、一度でもやった事のある行為に対する二回目のハードルは低くなる。
 ヒトを殺す事もまた然り。生きているかは微妙だな、とツキネもメタングも思ったが、口にはしなかった。ルリリの前だったし、何より、生きている可能性が完全にゼロという訳でも無かったからだ。

「それにしても、〝ホトリ〟ってニンゲンだったのですか」
「だね。自分もポケモンで、ルリリ達が住んでる辺りのヌシかとばかり思ってた。よっぽどいいトレーナーなんだろうね」
「むふー! 当然なのじゃ、なにせ吾達のホトリじゃからなー!」

 住人がいる割に修繕はしていないらしい。一部崩落していたり腐っていたりと危険な足場をものともせず、ルリリが得意満面でぴょこぴょこ跳ねる。自分のトレーナーでもないのに、本当に嬉しそうだった。
 いいトレーナーというだけでなく、野生ポケモンにすらここまで慕われているトレーナー、というのは本当に希少だ。
 ホトリ。それに、助けた中にはいなかったという手持ちのラグラージとゴルダックも、なるべく早めに助けてやりたい。
 しかし何事も急がば回れ。事前準備を怠っては、助けられるものも取りこぼす。

「グワー! オレ様のヤブクロンきゅんがー!?」「このガキ! 俺の可愛いベトベトンちゃんブッ飛ばして無事で帰れるとホゲーッ!」「バカな! うちのニャスパーたんがこんなにもあっさり……っ!」「お願いしますお願いします賞金半額は勘弁して下さい借金抱えてるんです家で腹を空かせた五つ子、いやさ六つ子のタマタマが待ってるんです!」「へへっ構うこたぁねえ! 直接トレーナーぶちのめしちまえばォ゛ア゛ー!?」

 どっかんばっきんどかどっかん。

 次々現れるモブ(※一般トレーナー)を作業的にブッ飛ばして賞金または目ぼしい道具をせしめながら、ツキネ達の歩みも会話も途切れる事無くよどみない。

「まったく、ポケモン達が大変な目にあってたっていうのにどこほっつき歩いてるですかねあの無責任徘徊老人。ナギサはあのニンゲンのナワバリでしょうに」
「ィウー……あそこのジムリーダー、〝さすらいの海風〟だっけ」
「なのです」

 ナギサタウンのジムリーダーは二つ名そのまま、ラチナ地方内をフラフラしていてジムにいない事で有名な男だ。
 ツキネ達も、偶然近くの町に来ていた海風とバトルをした事があるので多少は人となりを知っている。風来坊と言えば聞こえはいいが、その実力に反比例してナワバリのヌシとしての責任感とかやる気とか気概とか、そういうあれそれが微塵も感じられないニンゲンだった。
 渋い顔をするツキネを見上げ、ルリリがきょとんとした顔をする。

「違うのじゃ。ナギサはホトリのナワバリなのじゃ」
「うーん。そういう話ではあるですが、ちょっと意味が違うのですよね」

 ポケモンがニンゲンを指して言う〝ナワバリのヌシ〟とは、自分達とナワバリが重なる中で一番強く、コミュニケーションが取れるトレーナーを指している。
 対してツキネが言った〝ナワバリのヌシ〟とは、〝街を預かる責任者〟という意味合いのものだ。

「いや、あながち間違いじゃないかも。そういえばナギサ、ちょっと前にジムリーダー交代したって小耳に挟んだ記憶がある」
「えっ、そうなのです? ホトリがジムリーダーなら、それはとても良い事ではあるのですが……」

 険しい自然に囲まれ、往来がままならなかった過去から各街の独立色が強いラチナ地方において、ジムリーダーは街の要、治安維持の実力がある事が第一要件だ。
 過去一度の例外を除き、街々単位での国が形成されてきたという歴史背景もあって、ラチナにおけるジムリーダーは現代に至っても、自身の街で数多くの特権を有している。だから、ポケモン達の認識するナワバリのヌシ(ニンゲン)とジムリーダーが一致しているなら、それに越した事はない。

 閑話休題。

「おおっと目が合ったなバトルだ有り金むしってやるぜヒャッハー!」

 襲ってきたトレーナーを、メタングが手持ちごとパンチ一発で吹っ飛ばす。「オラッ財布出せなのじゃオラッ!」べべべべと跳ね迫りながら賞金をせびるルリリ、「さっさと出すもん出すのです。出せ」一緒に圧をかけるツキネ。
 他人事のようにそれを眺めながら、メタングは噛み締めるような調子で呟いた。

「うーん、ほんと血の気が多い。一発屋とか呼ばれるだけあるなあ」
「あ、そういえばそれ気になってたのですよね。どうしてルリリ一発屋とか呼ばれてるです?」
「うむ。大抵の相手を一発でぶっ飛ばすからじゃの!」
「あと、一発で即ダウンするからだってさ」
「……うむ。そういうこともあるの!」

 ふんす、と胸を張って得意顔をしたルリリが、メタングの蛇足に胸を張ったまま明後日を見た。
 ルリリはベイビィポケモンだ。ベイビィ、と呼称される通り、一般的には赤子のようにか弱いポケモン、というのが通説である。一発で即ダウン、はだろうな、という感想しか浮かばないが、大抵の相手を一発でぶっ飛ばす、というのは意外だった。  
 他のポケモン達から聞いていたらしいメタングが否定しなかったのだから、おそらくそれは事実なのだろう。
 ホトリ達を助けるためにはるばるマシロまでやってきた事といい、なかなかの規格外っぷりである。

「ルリリすごいではないですか。どうして進化してないのです?」
「それならおししょーがくれた宝物のおかげじゃの!」
「宝物、っていうとツキネに渡してたアレだよね。という事は、あの石って〝かわらずのいし〟?」

 ツキネの賞賛で一気にご機嫌になったルリリは、踊るようにぴょこぴょこしながら「うむ!」と元気に肯定した。

「おししょーは昔、はるか高みを目指してトレーナーと日夜きびしい修行をつんでいたんじゃ。そのころ、おししょーは勝てなくて伸び悩んでた……そんなところに、別のニンゲンがあらわれたのじゃ」
「ふんふん。別のトレーナーが」
「そやつのところで修行すれば、もっと高みに行けるかもしれない。おししょーのトレーナーは悩んだけど、おししょーはその話にとびついて……そっちのトレーナーのところに行ったのじゃ」
「行ったんだ。それでそれで?」
「うむ。結果、おししょーはギャラドスに進化したのじゃ」
「努力が報われてめでたしめでたし……って雰囲気でも無いね? 進化したならいい事だと思うんだけど」
「ですよね。コイキングは弱いですし、強くなったなら良い事だと思うですが……」

 悲壮な出来事を語るような雰囲気のルリリに、メタングとツキネは困惑する。
 沈痛な面持ちで、ルリリはふたりの言葉を否定して左右に揺れた。

「確かにの、強くはなったじゃ。でも、おししょーが求めていた強さはそれでは無かったじゃ。はるか高く……誰より空高く、跳ねるための力じゃった……。ギャラドスでは、コイキングのようには跳ねられないのじゃよ……」
「えっそういう方向性だったです?」
「ィゥウー……確かに、ギャラドスじゃコイキングみたいには跳ねられないな……」
「おししょーは後悔したが、もはやコイキングには戻れん。吾がもらったあの石はの、かつて、おししょーが別のトレーナーのところに修行へ行くとき、元のトレーナーに預けて行ったものだそうじゃ。おししょーはの、言っておった。何のために強さを求めるか。どんな強さを求めるのか。この道で間違いは無いと確信できるその時まで、これを持って考えてみると良い、と……」
「ルリリのお師匠、ギャラドスなのにも関わらずそうそうお目にかかれないレベルで思慮深い」
「いい話なのです……」

 メタングは静かに戦慄し、ツキネはしんみり感じ入った。

「そんな宝物渡しちゃって良かったの?」
「うむ! 吾の心にもはや一点の迷い無し! じゃからの!」

 心を読まずとも伝わってくる強い決意に、ツキネはへにゃりと眉を下げた。
 かえすがえすも、千里眼でホトリ達の様子が見通せなかった事が口惜しい。手持ちだというシャワーズから縁を辿ってみたのだが、モヤで覆われたように、様子が見えなかったのだ。ゴートはエスパータイプの街なので、ひょっとしたら何かしら、ハンターがジムリーダー対策をした結果なのかも知れない。
 ……ツキネが寝た後、ずいぶん遅くに犯罪者回収でやってきた警察官は、メタング曰く「子どものお使い以下」だったそうだ。
 一応、ツキネ達もウワサには聞いていたのだ。ゴートシティはカジノの街として以外にも、ラチナの掃きだめだの悪党の巣窟だのという、さんざんな風評がある事は。
 ジムリーダー直下の手足である警察がソレなのだから、ゴートへの日帰りジムチャレンジを何度プレゼンしても、グラエナやガオガエンが渋い顔を崩さなかったのにも頷ける。
 同じ思いを抱いたようで、メタングが大きなため息をついた。

「気持ちは分からないでもないけど、足手まといになりかねないんだからぐっと飲み込んで帰って欲しかったよねぇ……」
「シャワーズの目が覚めなくてホトリ達がどうなってるかも分かんないのに、おめおめ帰ってられないのじゃー!」

 ルリリが激しくびょんびょん跳びながら気炎を上げる。
 本当なら、助けた皆は先にナギサへ帰すつもりだった。けれど、ポケモン達は怒涛の勢いで猛反発したのだ。ホトリ達を残して帰れない、と。感情をダイレクトに感じてしまうだけに、そういう決意は、どうにも汲んでやりたくなる。
 メタングのジト目を受け、ツキネは苦笑いで誤魔化した。

「……ま、いいけどさぁ。ところでツキネ、今いくらぐらい集まった? 結構稼いだと思うんだけど」
「うん、このくらいあれば軍資金は十分でしょう」

 ポケモンセンターでブッ飛ばしたモブ達から怯えながら勧められた稼ぎ場だったが、確かにトレーナーとのエンカウント率が高くて良い狩場だ。
 通路が崩れていたりとんでもなく汚かったり、半分廃墟みたいなのに住人がいたり野生ポケモンも住んでいたりで、物珍しさという意味でも中々にポイントが高い。
 ほくほくしながら、ツキネは居並ぶ歪んだドアをサイコパワーで押し開ける。

「「「イィ~ヒッヒッヒッヒ!」」」

 とたんに、煙と水蒸気の熱と不気味な笑い声が混然一体となってさんにんを直撃した。
 半ば天井と一緒に上階が崩落しており、ここからでも空が見える。そんな部屋で、ぐつぐつと何かを大きな鍋で煮込んでいるのはふたりのポケモンだった。
 ひとりは鳥系のポケモン。全身を覆う羽毛はずいぶんとくすんだ緑で、バッサバッサとしきりに動かしている大きな羽根は、濃い灰色がかって煤けた色合いをしている。
 もうひとりはヒトガタのポケモン。すり切れ、ボロボロになった黒いドレスを纏っているような姿は、大昔に滅んだ貴族のゴースト、といった印象を見る者に与える。
 どちらも相当の高齢であるようだ。しわくちゃの顔も色褪せた体色も、野生で見掛ける事は滅多に無い。
 ネイティオとゴチルゼル。ふたりはツキネ達を見止めると、ちょいちょいとこちらを手招きした。思考停止状態で操られるように、手招かれるまま近づいていって――

「えっ」

 鍋で煮られているポケモンと目が合った。
 青い体表、額には稲妻のようなマーク。長い髭をゆらゆらと大鍋の外で揺らめかせるそのポケモンも、ふたり同様、おそろしくよわいを経ているらしい。しわくちゃの顔を更にしわくちゃにし、大きな口を歪めて笑う。

「ギッ?」

 メタングが呆然として繰り返す。
 さんにんの視線が鍋の下に移動した。
 火はこれ以上なく燃え盛っている。
 視線を戻す。
 鍋の中ではナマズンと一緒に、名状しがたいドス黒いマーブル色の液体がぐつぐつ音を立てて煮えている。

「ピィウ……」

 手弱女のような儚いかすれ声が、ルリリの口からまろび出た。

「イーッヒッヒッヒ! いらっしゃい月の娘と星の子ら、めでたい時によう来られた!」
「イーッヒッヒッヒ! いらっしゃい海の末子すえご同胞はらからの子どもたち、夜もなけりゃあ昼もない街までよう来られた!」
「イーッヒッヒッヒ! 一生は短く光陰は矢のごとし、落日の大盤振る舞いだ来て正解だよヒィーッヒッヒ!」

 ごうごうと燃え盛る火に晒されて、壁や床へと落ちた影が伸び縮みしながら踊り狂う。
 呆然としながらもツキネはルリリをサイコパワーでコートの下へと引っ張り込み、もう片手でメタングを引っ張りながらじりりと後退りした。しゃがれ声がケタケタ嗤ってめいめいに、好き勝手ツキネに向かってまくし立てる。

「ヌシの若造ならわしらに聞くまでもなく答えを知っているよ、無慈悲な暗夜あんやの女王様!」
「ヌシの若造が知っていることはあんた様も既にご存知だとも、夜をもたらすはふりの娘!」
「ヌシの若造より影衛かげまもりめに聞いておくことさね、先祖返りの神呼び月!」
「ヒヒヒヒヒ! 試練さ契機さ分岐点さ! 半ばで死ななきゃだがね途切れて終わらなきゃだがね!」
「ヒヒヒヒヒ! 三千年前の罪業のツケ払いさ清算の時さ、見捨てるも立ち向かうもあんた様次第さね!」
「ヒヒヒヒヒ! 延々続く因縁が続いているのさ途切れてないのさ、どいつもこいつも未だに終われないからね!」

 目の前にいるのにいないような、ポケモンの姿をしているのにポケモンには思えない幻影か煙のようなさんにんは、ネジが外れたようにケタケタケラケラ、愉しくてたまらない、という奇声を上げている。
 サバトの魔女。そんな単語が頭をよぎった。勢いよく膨れ上がった正体不明のモノに対する恐怖と警戒が、過った単語に突かれて弾ける。
ツキネ達はさんにんに背を向けると、背後を気に掛ける余裕もなく、その場から一目散に逃げだした。

「なんなんなんなのですかアレー!?」
「知らんのじゃ怖いのじゃヤバいのじゃー!?」
「そういえば戯曲で出て来るねああいうのー!?」
「〝さんにんの魔女〟とか言われてるアレってニンゲンの姿ではなかったのですー!?」
「でも言動〝廃都の魔女たち〟とかも言われるアレっぽくないー!?」
「ギキョクってなんなのじゃー!?」
「物語なのですー!」
「昔話のことー!」

 右へ左へ上へ下へ。
 キャーワー大騒ぎしながらも、追い立てられるようなスピードで迷路のような建物の中を一心不乱に逃げていく。勢い余って身体の大きなメタングがドッカンガッコン壁やら床やら削ったり衝突しかけたりするが、それを気にしている余裕もない。
「クク、この護喪羅ゴモラ総長のテリトリーに突っ込ん……って逃がすか行けマタドガースッ!!」「ドガァアーッ出すの近ァーッ!?」「おまえ邪魔ー!」「どいてねパーンチ!」「「アバーッ!!」」とか途中で野生のトレーナーが襲いかかってきたりもしたが、秒で雑に退場していったりした。レベル差の無情。
 そんな感じで逃げに逃げて逃げまくり。

「こ、ここまでくれば大丈夫じゃ……!?」
「だと、いいですが……!」

 巨大なミツハニーの巣のような六卵砦りくらんとりでを飛び出しジクザグ飛行。
 逃げに逃げて中心街近くまでやってきたさんにんは、ドッと押し寄せる気疲れに、何処とも知れない屋根の上でへたり込んだ。

「なんか色々意味深な事いってたですが、深く考えた方が良いアレだと思うです……?」
「戯曲だとヒトを調子づかせて破滅させたり悪しき行いに駆り立てる系だから、深く考えない方が良いアレじゃないかな……」
「ああいうヤバいのじゃからお話になってるんじゃな……よそのナワバリってやべーのじゃな……」
「いえ、そうそういない手合いだと思うですが」

 というか、あんな意味不明のナニカがそこらにホイホイいて欲しくない。ぼそり、とメタングが呟く。

「……ゴートジムリーダーって、アレの存在把握してるのかな」
「…………」

 ツキネはスンッ……と表情を皮膚の下に引っ込ませた。
 ゴートの街の風評と実像、そして警察の様子から推察できるジムリーダー像は二種類。
 バトルしか能がないお飾りか、とんでもない悪党か。
 どちらにせよ、協力を求める相手としては不適格である事に変わりはない。
 少し離れた中心街、そこにそびえる逆さまにした細長い円錐のようなシルエットを死んだ目で睨み――「あ」夕暮れとの対比に、ツキネはがばりと身体を起こした。

「どうしたのさ、ツキネ」
「ああ、いえ。ちょっと前に予知夢で、燃える塔を見たですが……それがどうも、あのビルみたいで」
「ビッ!? あれ燃えるじゃ!?」
「うわ面倒。いつ起きるかは分からないんだし、ホトリ達助けた後で良くない?」
「……確かに、それもそうですね」

 サイキッカーはそれなりにいても、エスパーはほんの一握り。
 ポケモンならともかく、ニンゲンのエスパーがする未来予知なんて、ジムリーダーの性格如何によっては真剣に受け止めて貰えない可能性もある。
 それにツキネは予知夢について、基本、ポケモン以外には口外していない。伝えるにしてもホトリ達を助けた後、ジムチャレンジついでに人間性を見定めてからでいいだろう。

「良いのかの?」

 心配そうなルリリに、「良いのですよ」とキッパリ言って頭を撫でる。
 予知に頼らなければ防げないというのなら、それはジムリーダーがその程度だった、というだけだ。

「それよりルリリ。モンスターボールが手に入ったし、ちょっと入っておくですよ」
「なんでなのじゃ?」
「これからハンター相手にするからだよ。ボールマーカー付けておけば、回復とか色々便利だしね。まあ、自分のボールは家に置き去りになってる訳なんだけど」
「……」
「あーあー。我慢できなかったのは仕方ないにしても、ツキネがあとちょっと待ってくれれば良かったのになー。誰かさんのせいでなー」

 視線を泳がせていたツキネは、じっとり圧をかけてくるメタングにすっ……と姿勢を正し、深々と折り目正しい土下座を披露した。その件に関しては大変申し訳ないと思っている。
 メタングがはぁあ、とわざとらしいため息をついた。

「いいけどさ、付き合うって決めたのは自分だし。……ボールマーカー付けるのは、ホトリ達を助けるまでの短期的なものだよ。終わったらちゃんとマーカーも外す。約束する」
「分かってるのじゃ。ツキネもめたも、ムリヤリとかひどい事はしないからの! よろしくじゃ!」
「はい、よろしくなのです。――では、あとはバトルに備えて道具をそろえたら、よく休んで万全で救出に臨むです!」

 えいえいおー! 元気いっぱい声をそろえて、天にこぶしを突き上げる。

 ごぉーん、ごぉーん、ごぉーん、ごぉーん――……。

 中心街の時計塔から、鐘の音が響いてくる。上から伸し掛かるように逆さまの円錐形をしたビルが、いつも通りに黒々としたおおきな影を、街へと投げかけていた。




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